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 ペドロがダッブと遊園地に来たら、元彼に会ったよという内容です。
 キスシーンがあるくらいで色気はないです。修羅場もないです。中身も…。

「ダッブっ…オレ、もうダメ……っ」
 薄闇の中、ペドロは訴えた。泣くような、切なげな声だ。
「もう? 早すぎる」
 答えるダッブは平然としていて、少しも興奮した様子はなかったた。むしろ、自分を制するその声に冷たささえ感じてしまって、ペドロは息をつめる。何とか自分の衝動を押さえようとするが、やはり頂点へと向かう勢いを止められず、身体を震わせた。
「だって、でもっ……もうオレ、ガマンできなっ――」
 ガタンと機体が揺れる。ヒッ、とセリフの途中でペドロは悲鳴をあげた。次の瞬間、頂点に登りつめたジェットコースターはトンネルを抜け、眩しい日光の中を、猛スピードで滑り降りた。


「ぅあー……っ」
 ぜえぜえと肩で息をする合間に、ペドロは低く呻いた。その後ろでは、車イスに乗ったダッブが、はるか上方、さっきまで二人が乗っていたジェットコースターが、再び坂を登るのを見上げている。
「うー……」
 冷や汗をぬぐいながら、ペドロは自分の計画の甘さを呪った。今日、ダッブを遊園地に誘ったのは彼の方だった(今回に限った話ではないが)。デートの場として定番だからという単純な理由で、自分が絶叫系が苦手だという認識はすっかり抜け落ちていた。ダッブはきっと、大人しい乗り物やパレードの方が好きだろうという思い込みもどこかにあった。しかし、遊園地に着いたダッブが真っ先に選んだのは、ひっきりなしに悲鳴があがるジェットコースターだった。自分から誘っておいて出鼻をくじくわけにはいかないと、ペドロが意を決した結果がこれだ。
 まだ視界はフラフラと揺れている。しかしいつまでもこうしてはいられない。ペドロは大きく息を吸うと、振り返り、わざと明るい声を出した。
「ダッブ、絶叫系好きだったんだ。意外」
「いや」
 目線をジェットコースターからペドロに移すと、ダッブは口だけで軽くそれを否定した。
「今日はじめて乗った」
「そーなの?」
「遊園地には子供の頃一度だけ来たことがあるけれど……その頃は小さすぎて、乗れる乗り物がなかった」
「あー」
 今でさえ――胴体部分しかないことを考慮に入れても――小柄なダッブのことだ、子供の頃は尚更だろうと、想像してペドロは納得した。今よりずっと小さいダッブは可愛いだろうなあ、とちょっとニヤニヤする。
「それ以来こういう場所に来る機会がなくて」
 と、ダッブは周囲に首を巡らせた。キラキラしたメリーゴーランドや、カラフルな屋台、歩く人々に向ける目はいつもと変わらないはずなのに、心なしか嬉しそうに見える。珍しいなあ、とペドロはそんなダッブの横顔に見入った。
「興味はあったけれど、こんなに楽しいとは思わなかった」
 そこでダッブはペドロの方を向く。ちょうど視線がぶつかって、少しペドロは気恥ずかしく思ったが、ダッブは彼の目をじっと見て言った。
「今日、君が連れてきてくれてとても嬉しい」
「ダッブ……」
 たとえ言葉だけでも、ダッブがすすんで自分の感情を表すなんて、滅多にない。感動して、ペドロは、じん、と胸を熱くした。
「まだ来たばっかじゃん。そんなに喜ぶなんて思わなかったなー。……えー、なんか、オレまで嬉しいし。ねっ、次何する? 何乗りたい?」
 同時にこみあげてきた喜びに突き動かされ、せわしなく、恥ずかしそうに頭をかいたり、ダッブにとびついたりする。
「じゃあ、あれに乗りたい」
 ぐいぐいと、犬や猫のように頬を寄せられながら、ダッブは視線で次を示した。ペドロも同じ位置からそれを追う。その先にあるのは――今まさに、はるか上空から自由落下を始めた、フリーフォールだ。
 サッとペドロの顔が青ざめる。
「待ってダッブ! ちょっと待ってて! オレ飲むモン買ってくるっ!」
 脱兎のように、ペドロはその場から逃げ出した。


 (あー、まいったなー)
 ペットボトルを片手に、ペドロは途方にくれた。売店でそれを買った帰り道、もうダッブは人混みの向こうの見える位置にいる。気に入ったのだろうか、彼はまたジェットコースターを見上げていた。
 今さら、絶叫系が実は苦手です、なんて言うのは情けないし気が引ける。何せあのダッブが自分から楽しいと言い出したのだ。できる限り願いを叶えてあげたい。
 しかし想像するだけで足が震えるのも事実で、自然と歩みが遅くなった。まるでテストの前の登校時だ。
 のろのろふらふらと歩くペドロは雑踏の中いかにも危なげで、気づいた何人かは避けて通る。しかしそれを知る由もない一人の男の背中に、ペドロは半身をまともにぶち当てた。
「うわっ、すいま――」
 思いがけない衝撃にたたらを踏みながら、振り返った相手の顔を見て、言葉を失う。
「「あっ」」
 二人、同時に声をあげた。
 さらに相手はかけていたサングラスを外して、ペドロの顔をまじまじと見る。
「ペドロ?」
 ぽかんと口を開けたまま、ペドロは頷いた。
 例えサングラスをしたままでも、間違えるはずがない。
 誰かと言えば――昔の恋人だ。
 まだダッブと出会う前に付き合い出して、ダッブと出会ってから別れた。告白したのはペドロで、別れを切り出したのもペドロだった。理由を聞かれて、当時の彼は素直に答えた。他に好きな人ができたから――と。それから多少の悶着はあったものの、最終的にはお互い納得して別れたと、少なくともペドロはそう思っている。
 しかし最初の衝撃が過ぎて、切り出す最初の言葉を探す間には、さすがに気まずさを感じた。先に口を開いたのは相手の方だった。上から下までペドロを眺めて、懐かしそうに笑う。
「髪のびたな」
「ん、まーな」
 確かに、髪を伸ばし始めたのは、彼と別れてからだ。新鮮に映るのか、じろじろと見られて、話をそらそうとペドロは別のことを聞いた。
「ここで何してんの? ……デート?」
 聞いてから、少し、しまったなと思う。自分からふっておいて、新しい恋人は、なんてムシが良すぎる。しかし、そうであって欲しいという願望もあった。嫌いになって別れたわけではないから、どこかで幸せでいてほしいという、その程度の情はある。
 はたして、相手は肩をすくめた。
「いや、親戚のつきあい。こっちに子供連れで遊びに来てるのがいるから」
 そして、ペドロから視線をそらし、力なく笑う。
「お前にフラれて以来、なんつーの、軽く人間不振って言うか……なんか、そういう気分になれねーんだよなあ」
「マジで?」
 急に、相手に悪いことをしたという罪悪感にかられて、ペドロは身を乗り出した。どこかで幸せに、なんて思っていた自分の都合のよさが申し訳なくなる。しかし返ってきたのは、冷ややかな、人を小馬鹿にした目だった。
「んなワケねーじゃん。嘘だよ。相変わらずバカだなお前」
「――――…」
 流れるような悪態に、頭をはたかれたような錯覚に陥って、ペドロは言葉を失う。面と向かってバカにされたのは久しぶりで、当時感じていた違和感に今さら気付く。
 (そうだ、コイツのこういうところが……)
 付き合っていたときにも、何か違うと思っていた原因の一つだろう。それでも当時は、相手の方が年上だし、自分もまだ学生で、バカという言葉も愛情表現のように思っていた。しかし今、改めてその言葉を聞いてみると思いの外ショックで、昔も知らない内に傷ついてたのかなあと、考える。
 相手はそんなペドロには気づかない様子で聞いてきた。
「で、そういうお前は? デートなわけだ? あの時、好きになったとかいうヤツ? でもノーマルって言ってたよな?」
「え、あ、うん――ほら、あの人」
 矢継ぎ早な質問一つ一つにうっかりまとめて頷いてしまい、知らぬ存ぜぬを突き通せなくなったペドロは、本人に気づかれないようにと祈りながらダッブの方を指差した。賑々しい中でも車イスはよく目立つ。
「うわ」
 ペドロの指す先を目を細めてにらんだ後、相手は目を丸くした。それからペドロを非難がましく見る。
「お前、本当はあーゆーのが好みだったん? まだ子供じゃん。犯罪じゃん」
「ちげーよバカ」
 こう言われるのは何も初めてではない。呆れも混じり、ペドロは相手の視線をうっとうしげに振り払った。
「ダッブ、オマエより年上だよ」
「へー、マジかよ。見えねー」
 なおも言いつのられて、例え相手にその気がなくても、ダッブまでバカにされたように感じ、ムッとしたペドロは言い返した。
「ホントだよ。オマエより年上だし、スゲー頭いいし、しっかりしてるし、優しいし――オマエみたいに、オレのことバカにしねーし」
 腕を組んで、わざとふんぞり返って言う。相手は一度驚いたように瞬きをした後、苦笑した。
「言うなあ、お前」
 過去のことはどうであれ――現在の恋人の沽券を守り抜いた自負に、ペドロはふんと鼻を鳴らした。相手をやり込めてやったつもりだったが、そんなペドロの思惑とは裏腹に、彼は優しく笑った。
「愛されてんじゃん。安心した」
「は? 何だよソレ。ワケわかんねー」
 肩透かしをくらって、ペドロは強がりも忘れて声をあげる。バカにされたかと思えば、どうやら心配されていたらしい。混乱した目で睨みつけるが、相手はひょうひょうと笑ってそれをかわした。
「はは、まーいいじゃん。俺にもお前の幸せを祈るくらいの権利はあるだろ」
 と彼はそ知らぬ顔で付け加え、首を横に回してもう一度ダッブを見た。涼しい顔のまま言う。
「で、お前の彼氏、今まさに係員に連れてかれそうになってんだけど」
「うわー!!」
 見てみれば、本当に、一人の着ぐるみがダッブの車イスに手をかけている。相手を問いただすどころか挨拶の暇さえなく、ペドロはダッブに向かって走り出した。


「ハイッ! オレその人のツレです! カレシです! コイビトです! てゆーかダッブ子供じゃねーし! ID見ろよな!」
 まくし立て、ダッブが首から下げた身分証明を見せることで、ペドロは早とちりな着ぐるみを追い払った。迷子センターだか運営本部だかに連れて行かれそうになっていたダッブは、しかしどこ吹く風、相変わらずのマイペースでペドロを迎えた。
「おかえり」
 マイペースさにかけてはペドロも負けていない。いきなり、ぐい、と顔を寄せると、真剣な顔でダッブに言った。
「ダッブ、キスして」
「……」
 唐突な言葉に、ダッブは何か言いたげに口を開くと、
「とびっきりの――」
 ペドロが言い終わらない内に、首をのばしてその唇をふさいだ。ペドロが望んだ通りの、目が覚めるようなキスをくれる。自分が頼んだにも関わらず、その熱烈さにペドロは一瞬面食らったが、何とか冷静さを取り戻すと、横目でさっきまでいた方を見た。彼はまだそこに立っていて、呆れたように肩をすくめ――そして笑って、ペドロに手を振った。そのまま人混みの中に紛れていく。
 ペドロがそれを見届けた頃、ダッブは唇を離した。それから首をかしげてペドロを見上げる。
「どうかした?」
 理屈っぽいけど、今みたいな理屈抜きのこともしてくれる。頑固なようで、理由は後に置いておける柔軟性もある。慎重だけど、時に大胆。ダッブのそういう面を、ペドロはわりと最近、付き合い出してから知った。
「や、なんか、なんか、人に会ってさー。昔の……」
 一瞬嘘をつこうかとも思ったが、ダッブ相手ならあまり意味はないだろうなと、本当のことを言う。
「前、付き合ってたヤツ」
 案の定、ダッブは特に驚いた様子もなく、つまり嫉妬なんて期待する余地もなく、ただ、ふうんと相づちを打っただけだった。こういうそっけない部分には、その度に多かれ少なかれガックリする。悪気がないだけに余計。それでもくじけず、ペドロは続けた。
「なんかさ、今オレがダッブに愛されてて安心したとか言うからさ、それで……なんか、見せつけてやったら、もっと安心するかなって」
 そんなことを、ダッブに走り寄る短い間にペドロは考えていた。深く考える暇はなかったから、とりあえず思いついたとおりに行動した。ふうん、とダッブは全く同じ調子で相づちを打つ。それから吟味するように間をとって、もう一度口を開いた。
「愛されてたんだ。安心した」
「なっ」
 まさか聞かれていたのかと、あり得ないことを想像してペドロは慌てる。
「なんで同じこと言うのさ!?」
「君は時々献身が過ぎるから心配になる」
「……ちぇっ」
 やっぱりこっちでも心配されていた。どうしてどいつもこいつもと、釈然としない思いで、ペドロは口を尖らせる。
「なんか、子供扱い……」
 否定も肯定もせずに、ただダッブはペドロを見た。冷たさも温かさもない無色透明なその目は、そのままペドロの思いを映し返す鏡のようだ。少しの間ペドロはもごもごと、すねたようなことや恥ずかしそうなことを呟いていたが、やがて気持ちが落ち着くと、ダッブや“彼”の思いも少し分かったような気になる。そして次第に、自分たちの状況も思い出した。
「そうだ、お待たせ……ダッブ、えっと、次なんだけど……」
 濁した語尾に、ああ、とダッブが答える。
「考えていたけれど、あのアトラクションは待ち時間が長いみたいだ」
「え? あ、そーかな?」
 気づけば握りしめていた拳を解いて、ペドロは首をひねった。ずっと人の流れを見ていたらしいダッブは知った風に頷く。
「だからあれはまた今度にしよう」
 思わず、ペドロの顔が明るくなった。慌ててペドロはそれを隠そうとするが、ダッブは気づかないように先を続ける。
「それで、僕は慣れていないから、今日は君のおすすめを参考にしたい」
「いいの?」
「うん」
 君に任せる、というダッブの言葉に、急にペドロのテンションは上がった。頼りにされているのだと、逆に自分の方が期待に胸をふくらませて、笑う。
「オッケー! 任して!」
 そういって勢い良く、ダッブの車イスを押した。

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