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 小さい頃のトーマスと、友達の話。約4,600字。





「ねえ、あなた学校には行かないの?」
「行くよ。ママが色々てつづき中なんだって」
「じゃあきっとおんなじ学校ね。この近くには一つしかないから」
「きっと同じクラスになれるわ」
「どうして」
「そんな気がするの」
「そうなると良いわねってことよ」


 それから数日も経たないうちに、トーマスは小学校に通うことになりました。お隣のエイミーやポリーと同じ学校だとママが言ったので、ほっとしました。
 同時に、もし彼女たちが、1人1人、別の学校に行く羽目になったらどうするのかしら、とトーマスは不思議に思いました。別の学校でなくても、成績の悪い子は落第してもう一度同じ学年をやり直すことがあります。エイミーとポリーのどちらかが落第してしまったら、どうなるのでしょう。まさか2人を切り離すわけにはいかないでしょうから、壁に穴を開けて、身体を半分ずつ通して、上のクラスと下のクラスに出席するのでしょうか。
 ううんううんと、トーマスはその夜ベッドの中で、不思議な双子のことをずっと考えていました。
 朝、そのことを2人に話すと、「やあねえ」「おかしいわそんなの」と2人は笑いました。心配になって、トーマスは、「きみたち、ちゃんと勉強しなきゃいけないよ」と声をかけました。2人は、やっぱりくすくす笑っていました。
 トーマスのママと、双子のママに見送られながら、トーマスはスクールバスに乗り込みました。
 お気に入りの席なのか、双子はさっと、前から2番目の席に、2人で座りました。それを見てトーマスは、あ、と思いました。当然トーマスは彼女たちの隣に座るつもりでいたのですが、今こうして見ると、3人で一つの席に座るのは窮屈そうです。
 困って辺りをキョロキョロ見回すトーマスに気付いて、双子は前の席に声をかけました。
「アレックス、あなた隣に彼を座らせてあげて」
「新しいお友達なの」
 アレックス、と呼ばれた子は窓から外を眺めていましたが、言われてトーマスの方を振り返りました。彼は知らない子を見てきょとんとしましたが、トーマスの方はと言うと、あんぐりと口を開けていました。彼を見て、とにかく驚いてしまったのです。
 その子の顔には、一面毛が生えていました。
 大人の男の人の、口やアゴにヒゲが生えるのは知っていましたが、彼にはヒゲどころか、目の周りや鼻筋に沿って、顔中から毛が生えていました。どこからどこまでがヒゲで、眉毛で、髪の毛か、もう分からないくらいです。
 けむくじゃらだ、とトーマスは思いました。山奥の、雪の中に住んでるモンスターのような。
「新しい? 転校生?」
「そうよ。私たちのお隣さんになったの」
 すぐに気を取り直して、アレックスはまず、シートの上から顔を覗かせた双子に聞いて、それからまたトーマスの方を向きました。
「いいよ、座りなよ」
 小麦色の毛に覆われた口が、にかっと大きく開きました。一瞬トーマスはギョッとしましたが、牙なんて生えてないのが分かって、おそるおそる隣に座りました。
「よろしく」
 差し出された手にも細かい毛がたくさん生えていましたが、ちゃんと人と同じ形をしていて、トーマスはえいっとそれを握りました。えいっと、アレックスも握り返してきました。その手があたたかくて、手の甲に生えた毛はさらさらふわふわとしていました。
「引っ越してきたの?」
 手を離すと、アレックスはトーマスに聞きました。彼が表情を動かすたびに、口の周りや目の周りの毛がさわさわと揺れるのを、トーマスは不思議な気分でみつめていました。
「えっと、うん、そう」
「2人の隣の家?」
「そう。あのね、おばあちゃんと、おじいちゃんちなんだ。ママと、ひっこしてきたの」
「オレもむかし、よそから越してきたんだ。小学校に入る前。だからオレんち、オレの部屋があるんだぜ!」
 前に住んでいたアパートメントを思い出して、トーマスは何度もうなずきました。誇らしげに胸を張る、アレックスの喜びをついこの間、知ったばかりでしたから。
「うん。うん。僕も、あのね、僕のおじさんが、むかし使ってた部屋なんだって。もらったよ」
 古い勉強机をあちこち開いたり引っ張り出したりして、顔も知らないおじさんの落書きをトーマスは見つけました。ひとしきり、2人はまるで専門家のように、ああでもないこうでもないと、新しい机と古い机の良さを比べ合いました。
 それから、どんな遊びが好きかの話をしました。
「お前んち、ゲームある?」
「ううん……えとね、目に悪いから、ダメって。ママが。……あ、だから、テレビもないんだ。僕んち」
 最初に断っておくべきだな、とトーマスは思いました。これは、ママとトーマスと、おじいちゃん、おばあちゃん、家族みんなの約束でした。
 トーマスの目が片方になってしまって、もう残り一つしかないということ。二つの目で物を見るより、一つの方がうんと疲れやすくて、目が悪くなりやすいこと。そして悪くなってしまえば、もう良くはならないこと。そうならないために、目に悪い習慣をなるべく減らすこと。
 一つ一つ、優しく説明してくれたのはおばあちゃんでした。トーマスとママが来たその日に、みんなでテーブルを囲んで話し合いました。これはよいやり方だなと、トーマスは思いました。大人だけで決めてしまうよりずっと、分かりやすくて、しんせつです。つまり、公平だな、と思ったのです。
 よその家を見て、うらやましく思うことがあっても、これはみんなで決めたルールだと、トーマスも納得しました。そして目が見えなくなるのはとっても怖いな、とおばあちゃんの話を聞いて思いました。目が見えなくなったらどんなにか、大変なことでしょう。本を読むことも、走ることも、ママの顔を見ることも出来なくなるのです。
 それに、実を言うと、テレビが部屋にいるのを想像すると、何故だかゾッとするのです。中から何か怖いものが出てきそうで。だから新しい家にはテレビがないと聞いて、ホッとしてさえいました。
 アレックスとゲームの話が出来ないのは残念だけれど。彼は気分を害した風ではありませんでした。バスに他の子が乗るのを待つ間に、アレックスもこの近くに住んでいること、家族はパパとママと、もうすぐ弟が生まれるということ、野球チームに入っていることを聞きました。
 そしてどうやら、アレックスは気の良いヤツらしい、とトーマスは思いました。今度、彼の部屋で模型飛行機を見せてくれると約束したのです。
 バスが発車する時刻に近づいて、エンジンがかかりました。ブオン、という音にトーマスが前を向くと、ちょうどそのとき、バスから道路にかけられた板の上を昇って、一台の車椅子が乗り込んできました。グリーンのつやつやした車椅子です。トーマスと同じくらいの子が乗っていました。
 バスの入り口の横には、きっとそのためなのでしょう、広くスペースがとってありました。通路の側に座ったトーマスの目の前で、その子が車椅子の方向を変えようとしていたので、とっさにトーマスは立ち上がって手を伸ばしました。掴んでひっぱろうと思ったのです。
 けれどその子はトーマスを見るなり、叫びました。
「さわらないで!」
 あわてて、トーマスは手を引っ込めました。目をかっと開いて、その子は言います。
「君は、私が今日初めてこのバスに乗るって思ってるの?」
 初めてだとか、初めてじゃないとか、女の子が何を言っているのかトーマスには分かりませんでしたが、とにかく良くないことをしてしまったようです。トーマスはシートに座って、ぎゅっと縮こまりました。
「ご、ごめんなさい……」
「そんなに怒らないであげてキャメル」
「彼、初めてなのよ」
 席の後ろから、双子が顔を出して助け船を出しました。
「知ってる。見ない顔だもの。だから言ったんだ。余計なおせっかいがクセになっちゃ困る」
 しかしその子は双子がなだめるのも聞かず、トーマスにぴしゃりと指を突きつけました。
「君、名前は」
「トーマス……」
「いいか、トーマス。私は何も今日初めてこのバスに乗るんじゃない。君が来るずっと前から、こうして1人でやってるんだ。今さら、誰かに助けてもらう必要なんてない! そいうのをおせっかいって言うんだ」
 そしてぷいと横を向くと、自分の言ったことを証明するように、1人で車椅子を動かしました。車輪の外側に付いた輪(ハンドリムと言います)を掴んでくるりと向きを変えると、バスの壁を背に、壁に付いた金具で車椅子を留めました。
 いかにも手慣れた様子に、トーマスはひどく恐縮しました。惨めで、泣きそうな気持ちでしたが、アレックスはなんてことないように、ニヤニヤとトーマスの脇を肘でつつきました。
「おっかないだろ。キャメルって言うんだ」
「聞こえてるぞアレックス!」
 また怒鳴られてトーマスは肩をすくめましたが、アレックスはヒヒヒと声をあげて笑うだけでした。
 音を立てて、バスが走り始めました。
「君、転校生?」
 意外なことに、話しかけてきたのはキャメルの方でした。トーマスはすっかりキャメルには嫌われてしまったと思ったので、必死に答えました。
「うん、うん、そう。ひっこしてきたんだ」
「私たちのお隣なのよ!」
「じいちゃんとばあちゃん家なんだって」
「君たちには聞いてない。私はトーマスに聞いてるんだ」
 ぴしゃりと、キャメルは後ろから乗り出した双子や、アレックスに言いました。
「ちぇっ、いちいちうるさいなあ」
 と、アレックスは口を尖らせます。後ろでは双子がくすくすと笑いました。
「うん、そう、エイミーとポリーの隣で、おじいちゃんとおばあちゃんの家。ママと、いっしょに来たんだ」
 言いながら、トーマスはキャメルの車椅子や、座席の上のキャメルの足を見ていました。足が膝の所で逆に曲がっているのを見つけて、ああだから歩けないんだと、トーマスは納得しました。
 視線を上げると、キャメルと目が合いました。むっとしたような顔をしていて、口から出た言葉はやっぱりどこか機嫌が悪そうでした。
「車椅子見るの初めて?」
 慌てて、とにかくトーマスは首を振りました。
「ううん、初めてじゃない」
 嘘ではありません。電車の中や、街の中で、車椅子に乗ったり車椅子を押したりする人は、どこにでもいました。ただこんなに近くで見るのは、初めてです。しかもそれが今から友達になるかもしれない子だなんて、どうすればいいのかトーマスには分かりませんでした。
「でも、死ぬほどビックリした顔してる」
 と、怒るというよりは、呆れた声でキャメルが言うと、
「オレのことも、死ぬほどビックリした顔で見てた」
 アレックスが続けました。
「私たちのこともよ」
「初めて会ったときに!」
 後ろで元気よく、双子が言いました。
 わっと、トーマスは顔を赤くして、うつむきました。すごく変な顔をしたんだろうなと、恥ずかしくなりました。
 みんな、声をあげて笑いました。
 さっきよりもっと、ずっと、惨めな気分で、トーマスは皆が笑うのを聞いていました。
 泣きたくて、ここから消えてしまいたい気分でした。さっそく失敗したんだと、これから先の未来が真っ暗に見えました。
「すぐ慣れるよ」
 不意に、トーマスの肩をアレックスが叩きました。
 さらさらふわふわした、毛むくじゃらの手で。
「…………?」
 その言葉の意味はよく分かりませんでしたが、どうやら嫌われたわけではなさそうだと、トーマスはおそるおそる顔を上げました。
 みんな、笑って、トーマスを見ていました。

 恥ずかしそうに、トーマスも笑いました。


TO BE CONTINUED....




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