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 初秋の穏やかな空の下、石造りの東屋から女達の笑い声が聞こえる。通りすがった農夫が遠目に見やれば、その中には似たような顔が3つ並んで座っていた。片側を陣取るのは真っ白な衣装に身を包んだ少女で、まだあどけなさを感じさせる。もう一方に座るのは、それよりやや大人びた風の、まるで男のような恰好をした少女である。そして少女達に寄り添われて中央に腰掛けるのは、ずっと年配の赤いドレスをまとった女だった。
 他にも席はあるというのに、仲むつまじく一つの長椅子に身を寄せ合っている。母娘と言えば誰もが信じるだろう。果たして、彼女達の関係は叔母と姪、従姉妹同士というそれに近いものだった。
 今日は、実りを始めた豊かな田園に、親族がそろって行楽に来たのだ。昼食を終えて、男達は皆手に弓をとり馬を引いて狩りへと出かけた。残された女達は歓談に花を咲かせている。少し離れた場所にはそれぞれの侍女が控えていた。
 農夫の今居る場所からでは彼女らの話す内容は判別しがたかったが、それに対して彼はいささかの興味も持たなかった。暇をもてあました女達の話題ほど貧弱で、こちらを辟易させる物はないと彼は知っていたからだ。


「ねえテサラおば様。私のお母様が、今どうしてここにいないかお分かりですか?」
 と、アイメテは少し唐突にその話題を切り出した。それを受けて、テサラは上品に見える角度で小首をかしげた。同時に真珠と金で細工された瀟洒な耳飾りが揺れる。
「さあ何故かしら。他にご用事があるからと、伺ったけれど……」
 心当たりがない様子の叔母に、くすくすとアイメテは笑った。全身を純白の衣に包まれて、曇りのない笑顔は天使そのものである。
「今日は久しぶりにテサラおば様がいらっしゃるからよ。お母様ったら前からそればかり心配していたの。お母様はおば様の隣にいて、比べられるのが嫌なんだわ。おば様の方がずっと年上なのに、まるでお母様と変わらないんですもの」
 全く純真な風に言いのけた姪の幼さに、テサラは苦笑する。
「困った子だこと。あたくしの可愛い姪御は、お母様に意地悪を言うのね」
「だって本当のことですもの!」
 否定されたのが心外なのか、アイメテはそっぽを向いて頬を膨らませた。腕を伸ばしてその頬に触れながら、シェリーが口を開く。
「アイメテの母君はさておいても、私も方々から叔母上の噂は聞き及んでおります」
 優しく従妹の髪をすく手には白い手袋がはめられ、黒を基調とする軍服然とした衣装と相まってその凛々しさを強調していた。
「ご婦人方からの叔母上への、あるいは殿方からの叔母上を娶られた叔父上への、大抵は羨望と嫉妬の入り交じった賞賛を」
 従妹と違って、その声色に混じる揶揄の響きを隠す素振りも見せない。
 愛しの姉君に頭をなでられたアイメテはすっかり機嫌を直して、再びテサラに向き直った。
「ねえおば様、今日こそはおば様の美しさの秘密を教えてください。それをお土産にすればきっと、お母様もご機嫌を直しますわ」
「叔母上の秘訣であれば、宮廷の姫君達でさえ垂涎するでしょう」
 とシェリーもそれに合わせる。
「まあ嫌だわ。若いお嬢さん達が、年取ったおばさんをずいぶんと持ち上げるのね」
 二人の姪にねだられ、困ったように、しかし満更でもない様子でテサラはかぶりをふった。
「あたくしに一体何の秘密があるというのかしら。何も特別なことはしていないのよ。世にある、ありとあらゆる美容法を試しているだけ」
 そこでふと思い立ったのか、声の調子が変わる。
「そう、そう言えばそうね、この前に一つ新しい方法を試したのよ。そのお話をしましょうか」
「是非」
 うながされて、テサラは口元に人差し指をやって少し語頭を整えた。
「この前、新しく雇い入れた女中が、こう言っては何だけれどあまり至らない娘で……ちょうどシェリーくらいの年頃かしら。思慮がなくて不作法も目立つ、若さばかりが取り柄のような娘だったのよ」
 思い出しながら、ため息をつく。そしてそれを呑み込むように語調を変えた。
「でも適材を適所に配するのは、人の上に立つ者の責でしょう。その娘の良さを生かすも殺すもあたくし次第だと思って、なにかその娘にぴったりの役目がないか探していたの。そのときよ、ちょうど、読んでいた古い本にその方法が載っていて」
 と本を開く素振りをする。
「その娘の首を切って生き血を浴びてみたの」
「まあ」
 アイメテの瞳が、それまでとは違う光を宿してきらきらと輝いた。シェリーもことさら興味を引かれた様子で続きを促す。
「いかがでしたか?」
 しかし少女達の期待に反して、夫人は首をすくめた。
「骨折り損とはああいうことを言うのかしら。
 あたくしったらすっかり、この城にいるような気でいたのだけれど、あたくしの夫は貴女達のおじい様のような有益な趣味を持っていなかったのよ。つまり、あの方の様な蒐集癖を。おじい様のコレクションの中にならばいくつも役に立つ道具があったでしょうね」
 と、テサラは遠くの小高い丘の上に立つ、生家を見やる。その地下に並べられた自分の父親が収集した数々の凄惨な処刑具を思いやりながら。
「あたくしもそんなことを失念していたし、侍女達も慣れていないものだから、首を切るにも何度も何度も斬りつけて、次第に血と脂で手は滑るし、せっかくの血がどんどんと流れてしまったの。どうしても骨が切れなくて、とうとう少し力のある小姓を呼んで斧で首を斬ったのだけれど、待っているあたくしも裸でしょう、すっかり身体が冷えてしまって。それに生き血とは言っても放っておいたら固まってしまうからあまり上手くいかなくて。とても浴びるには足りないから腹を割いてみたけれど、臓物を傷つけてしまっては駄目ね。酷い臭いで、別に香を入れて湯浴みをしなければならなかったのよ」
 滔々と、らしからぬ不手際を披露する叔母にシェリーは笑って言った。
「次は死刑執行人か拷問吏を呼ばれたらよろしい。あるいは、私の侍女にならば得手な者がおります。今度お貸しいたしましょう」
「そう言えば貴女にはご自慢の侍女殿がいたわね。あたくしの城にも勿論、処刑人はいるし……でも、そうね、いいのよ」
 はっきりとしない言い方で、やんわりとテサラは姪の申し出を拒否した。訝しげにシェリーが首をかしげる。
「甲斐がありませんでしたか?」
「いいえ。そういうわけではないわ。全身にはとても足りなかったけれど、あの娘の血は確かに効果があったよう。やはり肌への馴染みが良いのかしら。いくつか他の素材を混ぜるやり方もあって、今度はそれも試してみるつもり」
「おば様、どういうこと? 侍女達を一流の首切り役人に仕立てるおつもり?」
 姪達に好奇を寄せられ、今度はテサラはその戸惑いをからかうような悪戯っぽい笑顔を見せた。
「そうね、単純に言ってしまえば、重要なのは結果ではなく過程だと気づいたのよ」
 なおも不思議そうに首をかしげる少女達に言いつのる。
「想像してみなさいな。鈍い刃で、不慣れな手で何度も肉を裂かれた娘の悲鳴を。あの娘は血を吐きながら何度も懇願したのよ。最初は『助けて』、終いには『早く殺して』と。どんな音楽でさえ、あれほどあたくしの心を潤すことはできないでしょう」
 朗々と流れるそれ自体が一つの調べであるかのように感じられて、アイメテはうっとりと叔母の言に聞き入った。
「それに、執行人の洗練された一刀の下で散らされてしまう命など儚すぎるわ。拷問吏の無粋な手にかかることもなく、あたくしは乙女の娘の命を最期の最後まで輝かせることができたのよ。それは為政者として誇るべきことでしょうね」
 胸を張り、端正でありながらも堂々とした叔母の横顔を、シェリーの瞳は敬愛を持って見つめる。
「そして――なかなか出ない結果に、焦りもしたし、もどかしい思いもしたし、いらだちもしたわ。でもその中でも、あたくしの心はいつもただ一つを願っていたと、気づけたの」
 そこでテサラは一呼吸置き、万感の思いを込めて、次の言葉紡いだ。
「大切な旦那様のために、美しくありたいと」
 まるで乙女のように頬を赤らめ、今はここにいない夫を恋い慕う。目線は森の奥、男達が消えていった方向へと向けられる。
「いつだってそうよ。あたくしが色々な美容法を試す本当の目的は、美そのものではないわ。あの方の隣に立つときに恥ずかしくないように、あたくしへの賛辞は全てあの方へと、そのためにあたくしは美しくありたいの。あの娘にかけた徒労は、それを思い出させてくれたのよ」
 そこで自分の思った以上の熱弁ぶりに気づき、少し恥じたように目を伏せると、
「最愛の方のために努力を続けること、それがあたくしの秘訣といえばそうかしら」
 と2人の疑問に答える形で話を締めくくった。
「素敵!」
 感極まったように、アイメテはテサラに抱きついた。早口でまくし立てる。
「おば様、わたくしとても感動いたしました。おば様の美しさ、そしてそのための犠牲は全て、おば様からおじ様への、愛の証なのね」
「ええ、あたくしはあの方に感謝すべきね。あの方のおかげで今のあたくしがあるのだから」
「流石は、我らの叔母上でいらっしゃる。私もとても感じ入りました」
 シェリーもその気持ちを表すかのように叔母に軽く身を預ける。2人の肩を優しく抱きながら、テサラはその耳に囁いた。
「貴女達もいつかそのような恋をするでしょう。その時がとても楽しみだわ。いったい2人とも、どんな愛をあたくしに見せてくれるのかしら」
 どうかそれが燃え上がるほどに激しく、焦がれるほどに狂おしいものでありますように。
 と呟いたとき、遠くに鹿の鳴き声が聞こえる。
 心臓を貫くほど深いものでありますように、と誰かが言った。

テサラ=イルミニ・イブジル
 他家に嫁いだオブリード辺境伯の妹。シェリーやアイメテにとっては叔母に当たる。
 彼女の夫イブジル候は、誰からも凡庸人畜無害と評されるようなごくごく平凡な男であるが、彼女はこの夫に心酔しており、嫁いで以来、彼のため自らの美を保つことに苦心し続けている。兄弟達曰く、昔から大変な努力家であったという彼女は、種々の食事制限や運動、マッサージや下着による矯正を駆使することで、三男五女を産みながらも、理想的な体型を維持していた。
 肌の美しさにもまた理想を追い求めた彼女は、美容液を作る際に、薬草や鉱物の他、処女の生き血や胎児の肉などを利用したとされている。
 残酷さにおいて兄らに勝るとも劣らないが、エデルカイト家に連なる者の常として、マゾヒスティックな面も持ち合わせた彼女は、夫への貞節を示すために自ら好んで貞操帯を常用している。

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