<登場人物>
サヒヤ(21):侍女。シェリーに仕えて数年、当初から尊大で慇懃無礼。
エヴァ(30):侍女頭。十年近くシェリーに仕えている。
シェリー(17):ホーゼンウルズ辺境伯・エデルカイト家の一人娘。傲慢で気まぐれ。
ルディ(14):侍女見習い。つい最近、シェリーの手でベルスートに連れて来られる。
「あの、お茶を、お持ちしました…」
震える声で、ルディはそう言いました。それすら気がつかない程緊張していたものですから、お嬢様が書類に読みふけって気のない返事をしただけなのが、むしろ幸いと思えました。
卓上に砂糖を盛った器やミルクの入った小瓶を並べ終えると、最後にカップに香茶を注ぎます。白い磁器に薄い桜色が広がり、香ばしく、どこか甘さのある良い匂いをたてます。色といい香りといい、少なくともルディには、申し分なく思えました。その事に少しほっとすると、ルディはおずおずとお嬢様に向き直りました。
「どうぞ……」
気の利いた口上もなく、ルディはが言えたのはこれだけです。
それを聞いて、お嬢様はようやく書類を机に放ると、無造作に香茶の入ったカップを手にとり、口元に運びました。一瞬澄んだ桜色に視線を落とし、一口含んで、飲み下すと、少し考えた風で、もう一度カップの中身を確認しました。それからカップを持つ手を少し下ろすと、代わりにルディに向かって顔を上げました。
「これはお前が煎れたのか?」
真っ赤な瞳に見すえられて、ルディの顔からさっと血の気が引きました。
もともと、お嬢様の、きり、と引き締まった眉や、射抜くような鋭い眼差しは、例え本心がそうでなくとも厳しい印象を人に与えます。しかもさっきまで小難しい文章を読んで小難しい顔をしていた名残がそこにはありました。
蛇ににらまれたカエルのように、ルディの身体がこわばります。
「ひあ、ごめんなさい……あの、僕が、僕が……やりました……」
裏返った声は、最後には消え入るほど小さくなりました。それと共にルディの心に不安が洪水のように押し寄せます。なじられるのだろうか、ぶたれるのだろうか、蹴られるのだろうか。けれどそれよりも怖かったのは、目の前の人を失望させたのではないか、ということでした。せっかく与えられた仕事をちゃんと出来なかった自分を、この人は見捨ててしまうのではないかと、泣きそうになりました。
「そうか」
そんなことを知ってか知らずか、お嬢様はルディから視線を下ろすと、また手の中の香茶を眺め、
「良い香りだ」
と、口元をゆるめました。
それからもう一度、香りを楽しむように香茶を口元に寄せてから、それを美味しそうに飲みました。
これを見て、安堵でルディの全身から力が抜けました。同時に、胸からこみ上げる気持ちにルディは驚きました。何と言うのかも知らない感情でしたが、それが今ルディの全身を震えさせ、頬を熱くするのです。穏やかでいて、居ても立ってもいられなくさせるような力がありましたが、その感じからどうやら悪いものではないと分かりました。
「よかった……」
胸元に手をあてて、吐く息と一緒にそう言いました。それを見たお嬢様は今度は少し口を開けて笑って、ルディに向かって手を伸ばしました。
その動きに、反射的にルディは身をすくめました。天国から地獄に落とさせるような感覚の中で、ああやっぱり、と思いました。自分なんかがほめられるはずがない、自分はないがしろにされて当然の人間だと、今さら思い出したのです。自分のような汚い生き物がこんなに所でこんなことをしていて、罰がないわけはないのだと、かたく目をつむって、あるべき仕打ちを待ちました。
けれど痛みはいつまで経っても訪れず、代わりに、あたたかい何かが優しくルディの頭に触れました。
身動きも出来ず、それがゆっくりと肌をなぞるのを、ルディはただ感じていました。確かめるように頬に触れて、それからゆっくりと髪の間に分け入るのを。
とても長く感じられる時間の後、ルディはおそるおそる目を開けました。そして、半分埋まった視界と、もう半分に映ったお嬢様の微笑みで、ようやくルディは何が起こったのかを理解したのです。
額にあたるのは、あたたかい手のひら。髪をすくのは、優しい指でした。
「っ……、っ……!!!」
身体全体が熱を持ち、固く閉じた喉から、悲鳴のような声が飛び出ました。