「お姉様なんて、大っ嫌い!」
聞き覚えのある甲高い声が辺りに鳴り響いて、ルディは足を止めました。声のした方を見ると、廊下の途中に設けられたバルコニーに、アイメテ嬢とその侍女マリーシアが並んで立っていました。外に向かって叫ぶアイメテをマリーシアがだめていましたが、半ばなげやりなそれが示すように、アイメテ嬢のかんしゃくは一向に治まる気配がありません。
「意地悪! いけず! キライ! キライ!! 大嫌い!」
拳を固く握り、全くもって辛抱たまりかねた、という様子に、心配したルディは開け放たれたドアから近寄って声をかけました。
「あの……」
「何!?」
どうかしたのかと問う前に、振り返ったアイメテ嬢ににらまれて、ルディは二の句も次げずに縮み上がります。思わず隣のマリーシアを見ると、気付いた彼女がうまく間を取り繕ってくれました。
「つい先ほど、お嬢様はシェリー様のお部屋に行かれたのですが、すぐに帰って来られたと思ったら、このご様子です」
淡々とした状況説明を遮るように、アイメテ嬢は話し出しました。
「お姉様のお部屋に行ったら……あの、あの、同じ顔をした双子の奉公人達が、お姉様と、し、寝台の上で……!」
そこでアイメテ嬢は顔を真っ赤にして口ごもりましたが、ルディは誰の何のことだかすぐにピンと来て、同時に胸をおさえました。この城で双子と言ったら、チュニパとチーピィのことです。そして彼らとお嬢様の関係にもまた、心当たりがありました。
彼らはその本質をむき出しにしない限り、少なくともルディにとっては気のいい同僚でしたが、彼らがお嬢様の側にいると、何だか胸にトゲが刺さったような気分になるのです。もっと詳しく言えば、普段、二人が仔犬のようにお嬢様にじゃれつく姿などは、どちらかというと好ましいものとして捉えられました。しかし二人が慣れた手つきでお嬢様の首に腕を回してキスをする様や、当然のようにベッドを共にする様を見ると、他とは違った、言い様のないわだかまりがルディの中に生まれるのです。
城内でお嬢様とそういった関係にある人間を他にも何人かルディは知っていましたが、彼らに対してそんな思いを抱くことはなくて、ルディは不思議に思ったり、二人に対して申し訳なく思ったりしていました。
ルディが胸中の苦さをもて余していると、アイメテ嬢は泣くように顔を両手で覆いました。
「お姉様が、兄様や伯父様達や、あの年嵩の召し使いを相手になさるのは、まだ分かるわ。お姉様は年上の方がお好みですものね。お姉様が私を認めてくださらないのは、私が至らないから、お姉様のお眼鏡にかなわないから……そう自分に言い聞かせて、気持ちを誤魔化して、堪え忍んで来たわ……」
うつむいて肩を震わせるその姿は弱々しく痛ましくて、ルディは、そのかよわい身体を誰か抱きしめてやれないかと思いました。
「でも、でも……!」
しかしその言葉に力が入ったかと思うと顔を覆う手は拳に代わり、ルディの目の前でアイメテ嬢の怒りは再び大爆発しました。山が炎を噴き出すように、天を仰いで声を張り上げます。
「あの者達は私よりも年下ではないの! 身分も低くて! 無知で粗野で無教養で! ではあの者達と比べて、私にどんな落ち度があると言うの! 一体私の何が不足だと言うの! 結局お姉様はどなたでもいいくせに、私だけ仲間外れにしているんだわ!」
その気迫に圧倒されたルディは思わず半歩身を引いて聞いていましたが、言葉の端々に思い当たって、思わず自分の胸に当てた手を見ました。
お嬢様の相手をする人々は大抵ルディよりも年上で、ずっと長くお嬢様の側にいましたし、それぞれに尊敬できる人々でしたから、とてもルディにとって高くて遠い存在でした。しかしそんな人々と比べるとずっと立場や年齢が自分に近く、それどころか幼く感じさせるあの二人でさえ、お嬢様に相手として所望されるとなると、どうにも自分と比べて、情けないやら羨ましいやらで、苦しくなってしまうのです。
状況が分かったところでそれが解消するわけではないのですが、しかしそれまで得体が知れず、もやもやとしていたこの感情にも自分の他に前例があるのだと知って、どこかルディはほっとしました。
アイメテ嬢は、依然として怒り狂ったまま続けます。
「しかもどうして今日私が参るとお分かりなのに、わざわざあの者達をお呼びになるの!」
まあ一番の問題はそこにあると言えば、そうなのですが。お嬢様の意地の悪い笑みを思い浮かべて、ルディは力なくうなだれました。どうしてああまで、厄介な騒動を好むのでしょう。
ともあれ、ルディの心中を言い当ててみせたアイメテ嬢を、ルディは敬服の念で見つめ直しました。おそらくアイメテ嬢にそのつもりは全くなかったのでしょうが、こんな感情があるだなんてルディは知りもしなかったのです。
同時に、同情、同感、共感、どう言おうとアイメテ嬢はさらに憤慨したでしょうが、密かにルディは彼女と自分の間に通ずるものを感じとりました。
「私はこんなにお姉様のことが好きなのに、お姉様だって知っていらっしゃるのに、そうやって私をないがしろにして、見せつけて、ここで今こうして、嫉妬に身を焦がさんばかりにしているのも全部お見通しで、楽しんでいらっしゃるのは分かってるわ!!」
「お声が大きゅうございますよ、お嬢様」
とうとうマリーシアが、ドウドウと馬をなだめるように、その肩に手をかけます。
「さあさお嬢様、とりあえずお部屋に参りましょう。お茶でも飲んで一休みされれば、ご気分も変わるかもしれません。貴方も、持ち場に帰りなさいませ」
促されて、慌ててルディはぺこりと頭を下げると、尚も響くアイメテ嬢の声を背に、その場を後にしました。そう言えば、おつかいの途中だったのです。
図書館に向かう道中で、何度も先ほど合点のいった考えを反復させました。アイメテ嬢のあの立腹ぶりを見ると、チュニパとチーピィと、お嬢様にまつわるこの苦い思いはきっと仕方のないものなのでしょう。でもあまりにそれが大きくなると、先程のアイメテ嬢の様に困ったことになるかもしれません。そうなる前に、どうにかする方法はないのでしょうか。博学である図書館の主や、仲のいい洗濯係達に聞いてみるといいかもしれません。
そう考える内に、ふと最後に聞いたアイメテ嬢の言葉を思い出しまして、ルディははたと立ち止まりました。きょろきょろと辺りを見回して、誰にも見られていないことを確認します。見られていたとして、自分の考えが見透かされたわけはないでしょうが、とにかくルディは誰もいないと確信してから、今思い浮かんだことを反芻しました。
もし、アイメテ嬢が最後に言ったことが、自分にもそっくりそのまま当てはまるとすると――――
それは、とても困ったことだなあと、ルディは一人で顔を赤くしました。