〜第一幕〜
『姫君』
 先代の辺境伯であるフィドト様の奥方は東方の蛮族の出で、民の前に姿を現すことはありませんでしたし、ご息女であるテサラ様は、ずいぶんと前に異国へ嫁がれました。ですから、長らくベルスートに不在であった姫君の到来に、誰もが熱狂しました。
 おまけにエルメイア様はとびきり愛らしく、しかも王家の姫君にも関わらず、お高くとまったようなところはちっともなかったのです。
 結い髪はほとんどせず、きつく苦しいコルセットも好まれませんでした。胴をしぼった流行りのサテンのドレスではなく、ゆったりとした絹や麻のドレスをお召しになりました。
 宝石よりも花や小鳥を好まれ、よく庭を散策されました。淡い色の髪を風に揺らして緑の中にたたずむ姿は、まるで天使か妖精のようだと、城内の人々は言いました。
 噂は瞬く間に市井に伝わりました。一時はホーゼンウルズ中の娘がエルメイア様を真似て、コルセットを脱ぎ捨てました。そして髪をわざと無造作に流して、まるで下着のような薄着で野山にくり出したと言われています。

 いくらエルメイア様が高慢ちきでないといっても、それはやはり気安さとは違いましたから、下々に直接お言葉をかけられることは滅多にありませんでした。そして、エルメイア様の方から視線を交わすこともまれでした。
 その瞳は、見る者をはっとさせるような鮮やかな赤をしていらっしゃるのですが、それゆえでありましょうか、エルメイア様はいつもまぶたを半ば伏せられていました。どこか遠くを、あるいは夢を見るような瞳は超然としていて、尊いお血筋を感じさせました。
 国王陛下は偉大な魔法使いでありましたから、きっとご息女のエルメイア様も不思議な力を持っているのだろうと、人々は思いました。そのくらい、エルメイア様のご様子は謎めいていて、薄布の向こうに秘密が隠されていみたいに見えたのです。

 けれど相手が誰であっても、エルメイア様は名を呼ばれると、

 花がほころぶように、微笑まれるのでした。

 エルメイア様には、王城から連れてきた懇意の侍従が数人おりました。特に一番年嵩の乳母のことは、
「ばあや、ばあや」
 と呼んで、ずいぶん頼りにしていらっしゃるご様子でした。この乳母にしてもエルメイア様のことを実の娘のように大切にしており、御身のお世話の一切を取り仕切っておりました。他の者がエルメイア様にご用の時は、たいていこの乳母を通してご意向を伺いました。

 夫であるオブリード様とお年はずいぶん離れていましたが、かえってそれが良かったのか、エルメイア様はオブリード様のことを父か兄かのように深く慕っておられました。
 ご公務のゆえにオブリード様は城をお留守になさることが多く、きっと寂しい思いをされていたのでしょう。オブリード様が城に戻られるといつも、エルメイア様は乳母が止めるのも聞かずに、駆け出しました。
「だんな様」
 まだ慣れないのか、たどたどしくそう呼んで、大きな胸に飛び込むのです。
 オブリード様もこの無辜の姫君をたいへん愛しく思っていらっしゃるご様子で、小さな身体を抱き止めて、
「ああ、こんな風に急に駆けてはいけないよ。つまずいて転ぶかもしれない。怪我でもしたらどうなさるのだ。あなたは私の大切な人なのだからね」
 と優しくさとすのでした。



第二幕へ


 王家の子女でありながら、エルメイア王女の記録はわずかしか残されていない。
 王の、五番目にして最後の嫡出子であり、三番目の王女であった。
 生来病弱であるため公の場からは遠ざけられた、と宮廷の式祭事録には記されるが、実際には精神薄弱のために半ば隠匿されたのだと、いくつかの記録から推察される。王女が生まれたばかりの頃の姿は王の家族像の中に見られるが、やがて成長するにつれて発達の遅滞が明らかになったのか、他の兄姉に混じって描かれることはなくなった。
 侍女の報告によると、王女の発語はまばらで、字を書くことはできなかったという。成人するまでいかなる教育を受けたかは定かでないが、貴人としての教養や作法を身につけることは不可能であったと容易に想像される。
 王女の名が歴史に記されるのは、ホーゼンウルズ辺境伯オブリードとの婚姻に際してである。多額の持参金と共に、父王は末娘を家臣へ降嫁させた。
 王女にとって幸いだったのは、王宮では恥とされた彼女の薄弱が、ホーゼンウルズではさして問題とされなかったことである。権威と厳格を重んじる宮廷では忌み嫌われた幼稚さが、自由や革新を好むホーゼンウルズの風土には、ある程度受け入れられた。
 そして王女の到来は、彼女のあずかり知らぬところでホーゼンウルズに様々なムーヴメントをもたらした。もっとも顕著で急進的だったのは、王女のスタイルを真似た新たなファッションモードで、身体をほとんど圧迫しないワンピースが、一時的ではあったが女子の間にたいへん流行した。
 ファッションの他にも料理や装飾、建築、生活様式など多岐にわたって、『宮廷風』『王都風』あるいは(実際に王女がそれを愛好したかはさておき)『王女風』と称するような様式が持ち込まれ、その内のいくつかはホーゼンウルズに定着した。ワインをストレートで飲むこと、春に行われる緑の祭などがこの時代にもたらされ、後のホーゼンウルズで一般化した習慣の例である。また王女が嫁いで以降、ベルスートには王家の援助で歌劇場や植物園が建てられ、芸術や学問が栄えた。
 当時、未だに辺境の蛮土と認識されていたホーゼンウルズにおいて、王女の降嫁が文化の発展、洗練に寄与したことは明白である。
 しかし当然のことながら、王女にはエデルカイト家の女主人として期待された能力はなく、城の家政においては家令が、社交の場においては愛妾達が、依然として辺境伯の権威を代弁し続けた。