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『東洋風の寝間着を羽織るトニエール子爵』
この時代、造船と航行技術の進歩により嘆きの海を渡る交易路が確立すると、東洋の文物が西洋諸国にもたらされた。珍奇であり、新鮮な魅力にあふれるそれらの品々は人々の心を惹き付け、貴族や富裕層の間では、東洋風の文物を生活様式に取り入れることが流行した。
異国の情緒に身をゆだねることは高尚な趣味であったし、同時に、高価な異国の品々で部屋を埋めることは、来客に自らの冨の膨大さを顕示することでもあり、彼らはこぞって東洋の物品を買い求めた。
需要が高騰するにつれ、それに応えるために、遠方の原産国ではなく、嘆きの海以西でも、『東方風』と銘打った商品が作られるようになった。これらの品は比較的安価であったし、より顧客の要望に添う形で製作されたため、時にはオリジナルを越えて人気を博すこともあった。
トニエール子爵が身につけている、釦がなく、ゆったりとした造りの寝間着も、実際に東洋で作られたものではなく、西洋で模造された内の一つと考えられる。
これは、当時のホーゼンウルズ辺境伯領の隆盛を象徴する、金の羊と銀の蚕が縫い表されていることから、明らかである。東洋風に絵柄を変えてはあるが、これらの図版は、実際の東洋では例がない。
『金の羊毛と銀の絹糸』
イブリール王国では、簒奪王ジョルムントの即位以降、とりわけ魔術の研究・開発が盛んとなった。
長らくの迫害の歴史から、古参の貴族達は魔術に対して差別的な抵抗感を持っていたが、ホーゼンウルズ辺境伯領をはじめとする新領土では、野心的な新興貴族達の元、数々の研究が精力的に行われた。その勢いは魔術迫害から解禁までの空白の数十年を埋めるべく、爆発的とも、狂信的とも表現される。
その中で、イブリール王国のみならず西洋全体の歴史において、二つの物品の開発が、かつてない、非常に重要な変化をもたらした。
金の羊毛の再発見と、銀の絹糸の到来である。
金の毛を持つ羊の飼育は、イブリールに現住する民族が北から移住する以前、今では滅びた先住民族達によって、数百年ほど前に同地で行われていた。イブリール王国が興った時点ですでに伝承を残すのみとなっていたが、長年の古文書の解読と、一度、南方の異国に翻訳されて保管されていた書物の再翻訳、そして数十年の試行錯誤の末、金羊の飼育方法が確立した。
同時に、東洋からは美術品や工芸品の他、多くの優れた思想や技術も取り入れられた。その内に、銀の糸を紡ぐ蚕の養蚕方法があった。蚕のエサとなる桑の木の輸入と、養蚕家の招聘により、以降イブリール王国でも盛んに銀の絹糸の生産が行われるようになった。
これらの金属光沢を持つ金糸銀糸は、しかし、その美しさによってのみ歓喜で迎えられたわけではない。
すなわち、これらの糸の開発により、布地への付術が可能になったのである。
これ以前、付術は精錬された金属と一部の貴石にのみ可能であった。金羊毛と銀絹糸の魔力を帯びやすい性質に着目した魔術師達は研究を重ね、金属や貴石に比べてはるかに軽量で柔軟性に富む、布地という素材への付術を成功させた。
これまで布地、あるいは紙への付術は、鉱物を砕いて作る塗料による方法が長らく試みられていた。しかし水や湿気、乾燥、そして折る、畳むといった衝撃に弱いこの方法では、用途は変化の乏しい屋内に限定されていた。しかし新素材である金糸と銀糸の縫い取りによって、布への付術は耐久性と柔軟性、携行性を兼ね備えた、より実用的なものへと変化した。
この技術が真っ先に用いられたのは、戦場である。
布でありながら金属のように剣先をはじく胴着、着用者の身を羽根のように軽くする靴、千里の彼方を遠見させる帽子――おとぎ話の中にのみ存在していた魔法の品々が、この時代から現実のものとなった。
当初、同量の金よりさらに高価であった金羊毛と銀絹糸を使用した衣服をまとえるのは、例えば指揮官や将軍と言ったような、特権身分の者ばかりであった。しかし時代が下ると、生産技術の発達により金羊毛と銀絹糸は比較的に廉価となり、一般の歩兵にまでこれらを使用した装備が支給されるようになった。やがて、かつて戦場を闊歩した、重たい金属装甲に身を固めた重装兵達は、完全に姿を消した。
魔術師個人による戦闘、また補佐要員というこれまでの枠を越え、魔術師達は戦争への介入を深め、紛れもなく戦局を左右する存在へと変容した。
一方で、敵国間での兵器開発は過熱し、戦力の絶え間ない拡充、個々の破壊力の増大、そして戦闘全体の激化により、戦禍の犠牲者はそれ以前と比較にならないほどに、増え続けた。
金の羊と銀の蚕。寝間着に刺繍されたこの模様には、実際に金羊毛と銀絹糸が使用されたわけではない。用いられたのは、普通の金糸銀糸である。しかしこれを誇らしげになでさするトニエール子爵の笑みには、郷里の偉大な産物を見せびらかすのみならず、後に築かれるであろう死体の山を連想させる意図さえ見て取れる。
→原寸