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 狩りの話。約5,300字。





−最も尊きものとは−



 木の上で、僕らはそれが来るのを待っていた。深い森の中で、決して見晴らしは良くないけど、見えるべきものが見える。梢の合間から、道が。さっきから何度か往来があったけど、逆に僕らが気付かれた様子はなかった。
 待つというのはずいぶん退屈な作業で、忍耐がいる。忍耐っていうのは、じっと耐えることだ。黙ったまんま、何時間でも同じ場所に留まるのは、想像する以上に大変なことだ。手も痺れて足も痺れて、何よりも飽き飽きしてくる。でも優秀な狩人に必要なのは、まさにこの忍耐だってことを、僕らは父さん母さんから教わった。
 何度か、僕らは顔を見合わせて――ひょっとしたら、期待外れの結果に終わるかもしれないことを、苦笑いでほのめかした。狩りっていうのはそういうものだ。必ず成功するとは限らない。
 手持ちぶさたに、近くの小枝を引き寄せようとして、僕は慌てて手を止めた。例えば引っ張った枝だが折れてしまったら、不自然な跡が残る。そんなことに誰も気付かないかもしれないけど、念を入れるに越したことはない。せっかくここまで足跡も消してきたのだから。
 代わりのように、大きなあくびが出た。ついでに、頼りがいのある太い枝の上で思い切り手足を伸ばす。いくら忍耐と言っても、いざというときに身体が動かないんじゃ、しょうがない。
 その時、声が聞こえた。
 僕らは同じ方向を向いた。山道を登った向こうは風上だ。風下にいる僕らにはよく音が通る。いつもふもとめがけて風が吹くから、ここに陣取ったのは正解だった。
 じっと耳を澄ませる。足音は、1つ……2つ……バタバタとせわしないのは、ロバの足音だ。
 きっと狙った一団に違いない。
 なおも、僕らは息を殺して、聞き入った。
 一団の足音はどんどんと近くなる。同時に、それ以上の音が続いてこないのを、注意深く僕らは聞き分けた。焦ってはいけない。狙った獲物以外がいれば――狩りは中止するべきだ。せっかく待ったのにとか、勿体ないなんて言ってられない。こっちは2人しかいないのだ。
 ああ、懐かしき我が家!
 こんなとき、決まってそんな思いが僕の胸に到来する。
 暗く、湿った洞窟の中、たき火はあたたかく、そして何よりたくさんの家族がいた。うんとたくさんだ。父さん、母さん、兄さん達、姉さん達、そして甥っ子姪っ子達。みんなでいれば、どんな獲物だって相手にできた。
 でも今の僕らはたったの2人。
 息をひそめて、好機を待つしかない。
 やがて、待ちに待った姿が枝葉の隙間に見え隠れしだした。
 男が1人、女が1人、そして子供が1人。
 女はロバに乗り、男がそれを引いている。男と言っても年を取っていて、話からすると、女の舅らしい。つまり女には結婚相手がいて、その父親ということだ。子供は女の息子で、男にとっては孫にあたる。
 男の腰には、大きな鉈がぶら下がっていた。あれで邪魔な草を払ったり、薪を調達したりすることができるし、もちろん人に対して振るうこともできる。
 あのロバについては少し手間取った。もし宿場町で馬貸しから借りたものだったら、行った数と帰ってきた数が合わないとなれば、店主は帳簿を確認するだろう。そこから彼らの足取りが簡単に知れてしまう。しかしどうにか、あのロバが彼らの持ち物だとの確信を得て、僕らは標的を決めた。
 狩りっていうのは、まず安全でなくちゃいけない。それは、獲物に反撃される可能性や、逃げられる余地をできる限り少なくする、という意味だ。
 だから、僕はまず、男の頭を射抜いた。
 矢尻はちょうど左の眼窩を抜けた。男の身体は大きくのけぞり、そのまま地面に倒れる。まだ人間は何が起こったか理解できず、唯一ロバの足がまごついた。
 僕はもう一度矢をつがえ、弓を引き絞った。
 矢は、信じられないほど速く、遠くまで飛ぶ。
 昔、父さんや兄さんに習った木製の弓がおもちゃに思えるくらいだ。しなる木を軸に、金属や革、それから動物の腱なんかを複雑に組み合わせたこの弓は、もちろん僕の手製の品ではない。いっとう良い物を、姫様がくれたのだ。
 最初は大きすぎた握<にぎり>も今では手に馴染む。何度も何度も、繰り返し引いては打ってきた。
 吸い込まれるように、矢は女の胸元に刺さった。
 ロバは悲鳴をあげて、駈け出した。女の身体は一瞬宙づりにされたように空<くう>に浮き、次の瞬間、支えるものもなく地面に落ちた。
 祖父に続いて母親も打たれたのを見て、子供は状況を理解したらしい。さっと道の脇の茂みに身を翻した。
 賢い獲物だ。
 僕がそう思ったときには、隣のチュニパの気配は消えていた。ロープを滑り降りながら勢いをつけて、大きく前に跳び降りる。そのままのスピードで逃げた子供を追いかける。
 元々、チュニパはあの子供に執心だった。町で見つけたときからしきりに、柔らかい子供の肉を使ったメニューを褒め立てた。さっと炙っただけの血の滴るステーキや、じっくり煮込んだとろけるようなシチュー。
 確かにそれは魅力的な提案ではあったけど、僕には別の思いがあった。確かに子供の肉は柔らかくて口に易くはあるけれど、噛みしめや旨味で言えば物足りない。
 僕も続いて地面に降りた。
 男はともかく、女はまだ生きて、動いていた。地面に手をつき、這いつくばって逃げようとしている。
 手早くしなければいけない。
 腰に付けていた縄を取り、女の首に巻く。背後というのはこちらにとっては一番の好条件で、ほとんど何の抵抗もなく僕は女の首を絞めあげた。首を絞めるのは、ナイフを使うよりもずっと簡単で、血の跡も残らない。息を止めようなんて大変なことを考える必要もない。首を通る血の流れを少しの間止めてやるだけで、女は動くのをやめた。
 それから2つの獲物を、とりあえず近くの茂みに隠した。ちょっと見ただけでは分からないのを確かめて、僕は道を進んだ。
 すぐそこで、縄を使った罠に足を絡め取られて、ロバがもがいていた。さて、逃がしてもいいけれど。バタバタと首を振るロバの顔を見ると、何だか徹底抗戦と言いたげな目をしていた。
 手綱を引いて、僕は首の骨を折った。
 どうせ鞍<くら>や轡<くつわ>は剥がして、どこか遠くで処分しなければいけない。大人しくさせるためには、殺すのが一番手っ取り早い。僕らにとっては用のない肉だけれど、きっと森の獣たちの夕飯になるだろう。
 木々の向こうから、ヒューッと鳥の鳴き声のような、笛の音が響いた。チュニパからの合図だ。僕も首から提げた笛を吹いて、狩りの成功を告げた。
 チュニパを待つ間に、馬具をはぎ取ったロバの死体を、やはり茂みの方に隠した。ロバの方はそれ程気をつけなくても、転んで首の骨を折ったように見えるだろう。罠も、仕掛けを取り払って跡を消す。
 そのうちに、チュニパが帰ってきた。腰に下げた、愛用の手斧は血に染まっていた。たぶん、子供の頭をかち割ったんだろう。後ろから投げつけたのかもしれない。
 斧は鉈と同じように、とても実用的な道具だ。刃と柄<え>、たったそれだけのシンプルな作りだけれど、刃の方に重心があるから、振り回すことで簡単に威力が出る。丈夫で軽い木と鋼。それだけで申し分のないものが出来上がる。
 軽すぎては威力が落ちる。重すぎても振りが遅くなる。握は滑らないよう。柄は湾曲させるか、真っ直ぐか。両刃か片刃か。まあもちろん、突き詰めれば考えることはいくらでもあるのだけれど。
 どう見比べても僕の弓とは、作るのにかけた手間暇や値段が釣り合わないことに、時々チュニパは頬を膨らませていた。
 ともあれ仕事が無事終わったなら、それ以上のことはない。
 幸いなことに、誰かが近づいてくる気配はなかった。本当に幸運なことだ。今回の狩りは、きっと成功する。
 血の跡を消すために、用意してあった砂を2人で撒いた。
 少しの努力で、少なくともぱっと見には、他と変わらない様子になった。もしよく訓練された犬が使われたとしたら、厄介なことにはなるけれど。たぶん大丈夫だろう。獲物は名の知られた商人や大富豪といった風ではなかったから。大がかりな捜査が行われるとは思えない。
 あらかじめ決めてあった場所まで、2人で獲物を運んだ。色んなやり方があると思うけど、首に縄を絞めて引きずるのが、今のところ一番簡単だった。道を行けるなら、荷車を使っても良いけど。道もない森の中じゃあ車輪は今ひとつ役に立たない。藁で敷物を編んでその上に乗せるのも良いかもしれないけど、結局その敷物をどう運ぶかが、問題になる。
 やがて、さらさらと水の音が聞こえだした。もうひとふんばり、僕はぐっと歩を進めた。
 流れる清水は、涼やかに僕らを迎えてくれた。
 小川のほとりに膝をついて、僕はほぅっと息をついた。額から流れる汗をぬぐう。見ればチュニパも同じように髪の毛をかきあげていたので、2人で顔を見合わせて、僕らは笑った。
 パンと手の平を合わせる。
「やったね」
「うまくいったね」
 口々に、お互いの功労をねぎらった。本当に、今日の狩りは自分に満点をあげたいくらいだ。チュニパも同じ気持ちなんだろう、胸を張って言った。
「ねえ、ほら、私が仕留めたんだよ」
 と子供の手首を取ってブラブラと振る。きっと頭の中はもう、尻肉のソテーやあばらのバーベキューなんかでいっぱいなんだろう。
「待ってよ、チュニパ」
 と僕はチュニパにやんわりと反論した。
 どの獲物の、どこの肉をどのくらい持って帰るかは、いつも重要な議題だった。2人しかいないのに、全部は無理だ。一番美味しい部分を選び取らなければいけない。
 年を取って肉も減り、筋張った男の肉は論外だ。
 子供の肉の物足りなさを上げて、僕は女の肉を推した。
 肉はたっぷりあるし、程々に脂肪も付いて、柔らかい。
 それに――僕にはある打算があった。
 その場で、僕は女の腹を裂いてみせた。ぐるぐるとうずまく腸や他の内臓を抜き去り、子宮をむき出しにする。
「わあ」
 さっきまで口を尖らせていたチュニパも、それを見て目を輝かせた。
 子宮は、丸く太っていた。
 僕は最初からこれが目当てだった。分厚いローブをまとった姿では分かりにくかったけれど、何かを庇うような身のこなしから、女が妊娠していると思った。
 子宮の皮は厚い。産まれてくる命を守るために。力をこめて、ナイフを突き通す。刃を伝って中から羊水がしたたり落ちる。中身を傷つけないように慎重に、けれど一気に、僕は刃を滑らせた。溢れる羊水の中から現れたのは、ちょうど広げた両手に乗るくらいの胎児だった。
「ほら」
 隙間から手を突っ込み、胎児を外へ引きずり出す。ヘソの緒を切って、僕はチュニパに見せびらかした。
 子供の肉以上に柔らかくて――骨さえいっしょくたに飲み込んでしまえる胎児の肉は、その分腐りやすくて、家に持ち帰ってからでは間に合わない、とっておきのごちそうだ。
 チュニパは期待に顔を真っ赤にして、胎児を見つめていた。開いた口からは今にもヨダレが落ちそうだったけど、急に、努めて真面目な顔をした。
「感謝をしましょう」
 母さんそっくりにそう言って、チュニパはお腹の前で手を組み、目をつむった。
 その顔と言ったら、なんて可愛いんだろう。閉じたまぶたを縁取る睫毛といい、つるんとしたおでこやふっくらとした頬といい。今すぐキスしたいくらいだ。
 そりゃあ、綺麗な人ならいくらだっているさ。姫様だって、エヴァさんだって、町で見かけた踊り子だって、思わず見とれてしまうことはあるけれど。でもこんなに可愛い子なんて、きっと他にはいないんじゃないかな。少なくとも僕にとっては。
「いつも、美味しいご飯をありがとうございます」
 僕も手を組んで、そう続けた。
 昔、まだ小さかった頃僕は、この言葉は父さんのために言ってるんだと思っていた。実際、家族の中で一番偉いのは父さんで、一番強いのも父さんだった。家族のために、いつもたくさん獲物を獲ってくる父さんに感謝するのは、自然なことに思えた。
 でも自分で獲物を獲るようになってから、今は、違う意味のように思える。
 狭い洞穴から出て、僕は世界の広さを知った。
 小さいときは、獲物がどこから来るかなんて考えたこともなかった。でも今は、知っている。彼らがどうやって産まれ、何を食べ、成長し、僕らの前に現れるのか。彼らを産んだ人がいる、彼らを育てた人がいる。彼らの服を仕立てた人がいる、彼らの食べるものを作った人がいる。彼らが商売をするとき、相手がいないはずがない。土を耕したあと、一人で全てを収穫できるだろうか。
 近くの町で、遠くの町で、地平線の向こうまで。人は無数の繋がりの中でだけ生きていける。
 そして全ては繋がって、僕らの糧になってなるんだ。
 昔は、僕らは家族だけで生きているものだと思っていた。でもそうじゃない。僕らが生きていけるのも、世界と繋がっているからだ。
 そんな世界の全てに感謝をするために、この言葉はあるんじゃないだろうか。
 ――僕がこんな事を考えているなんて知ったら、チュニパはびっくりするかな。
 薄目を開けて僕はちらりとチュニパの顔を見た。何にも気付いてない風に、チュニパは唇を開いた。合わせて僕も、声を出した。


「いただきます」







 どうか繋がっていきますように!

 これから生まれるだろう、僕らのたくさんの赤ちゃんにも、そのまた赤ちゃんにも、ずっとずっと!!









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