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F L O W E R



 ヤスリンは、トニエールの、もっと言えば、ホーゼンウルズの出でもなかった。隣国の山村で生まれ、そのときは男として、ヤースロットと名付けられた。しかしやがて彼の身体の異常に気づくと家族は彼を疎み、10才になる前に人買いに売った。人買いが彼を娼館に売り、それからは女として仕込まれた。初めて客を取ったのは12才のときで、珍奇な体はゲテモノ扱いではあったが、それなりに人気もあって、足繁く通う客は多かった。その中の一人がジュリアンで、彼女が20才になると、身請けを申し出た。相手が役人ということもあって、相当な値がついた。それから彼はヤスリンをトニエールに呼び寄せてこの別邸に住まわせているが、最近は飽いたのか、来訪もまれだ。
 そんなことを話しながら、二人は一晩を、同じ寝台で過ごした。
 ティンバットは何度でもヤスリンを受け入れたし、何度もヤスリンはティンバットの体の中で果てた。最後には中から白濁が漏れ出るほどだった。
 そして陽が高く登るまで、手をつないで眠った。
 目覚めて、ティンバットは寝台の縁に腰掛けると、太陽に照らされて輝く庭を眺めた。夜の間には分からなかった花々が、春を言祝ぐように開いている。
「美しい庭だな」
 そう言いながら、陽光に惜しげもなく、若く、引き締まった肢体をさらす。肌は日に焼け、うっすらと筋肉がついていて、まるで少年のようだが、女性らしい膨らみも見てとれる。
 それをすぐ隣の日陰に座りながら、まぶしい気持ちでヤスリンは見ていた。
 愛好する者はいてもやはり自分の体は異形で、明るい光に照らされてはいけないのだと、少女の健全な肉体に対比して実感する。さとられないようにシーツを下半身にまとわせて、ヤスリンはティンバットの言葉を受けた。
「あの方のために、綺麗にしてあるのだけど。このところはご無沙汰ね」
「お前が?」
「そうよ。娼館にいた頃はね、いつも庭がほしいと思っていたわ」
 本を読んだり、人に聞いたりしたのだとヤスリンは答えた。
「今では願いは叶ったけれど、見る人がいない。もう少ししたらバラが咲くのよ。今年はうんと肥料をやったから、きっとたくさん咲いてくれるでしょう」
 熱を入れて語るヤスリンを、ティンバットはしげしげと眺めた。
 そんなに意外だったかとヤスリンが思っていると、不意に彼女は手を伸ばした。
「お前は、花のようだな」
 言葉通り、花弁に触れるようにそっと、ヤスリンの頬をなでる。
 美貌を花に例えられることは珍しくない。聞き慣れた賛辞に、ヤスリンは苦笑した。とはいえ、甘い睦言もこのところ聞いていない。情事の余韻にひたりたくて、ティンバットの言うことに耳を傾けた。
「私はお前のように花には詳しくない。でも、花にもいくつか種類があるのだろう」
 卑下のはずだが、妙に堂々と言うものだから、おかしい。ヤスリンは笑って相手の無知をからかった。
「そうよ、百合とか桔梗とかね。どれも美しいわ」
「そうじゃない」
 気を悪くした風はなかったが、ティンバットはヤスリンの言葉を否定する。
「雄と雌が別々に咲くものもあれば、一つに両方が付いているものもあるのだろう」
 だから、とティンバットは笑ってヤスリンの手を取った。
「お前は花のように、咲いているのだね」
 そのまま、陽光の中に抱き寄せる。
 蜘蛛と言ったり花と言ったり、好き勝手なことだと、少女の胸の中でヤスリンは思った。嘘つきでわがままで、一つ一つ偉そうだ。猫のように気まぐれで、しかも毒がある。人心を絡めて麻痺させる毒だ。
 でも、この体は花のようだと、彼女は言った。
 日だまりと、この体温は、なんてあたたかいのかしら、とヤスリンは目を細め、
「うれしいわ」
 涙を一つこぼした。

 日が天頂にさしかかる前に、ティンバットは屋敷を発った。
 服を着て、外套を羽織れば、彼女は昨夜ここを訪れたときのように、全く少年としか映らなかった。
 ヤスリンは門まで出ると、恋人のように口づけをして、馬に乗って去って行くその後ろ姿を見送った。
 それから半年が過ぎた。バラは咲いて、枯れたが、相変わらず主人は屋敷を訪れないままで、その代わり、色々な知らせが人づてに届いた。
 一番の大事は、トニエールに新たな子爵が就いたということだろう。オブリード辺境伯の一人息子と最初は聞いたが、次にはれっきとした娘だということになった。男のように軍靴を履き、兵団を引き連れてやってきたらしい。怠慢な役人たちを震え上がらせたと。
 それからオルケー森の狼が、新たな領主によって一網打尽にされた。実際には狼ではなくて人食い鬼だったというから、森の中の惨事に身の毛もよだつ。鬼たちはすべて、民衆の前で火あぶりにされた。
 それを話す、村の女の顔は華やいでいた。また商人たちが通るようになれば、必需品がそろうばかりでなく、余剰の作物を売ることもできるし、さらにそれで余分な買い物を楽しむことさえできる。
 一陣の風が、トニエールにわだかまる塵を払ったようだ。
 そして秋口に、屋敷に久方ぶりの訪問者があった。
 ヤスリンは庭にいた。車輪の音が響いて、馬車が一台、門の前に止まるのを見ていた。そこから一人が降りて、ヤスリンの所まで歩いてくる。
「子爵様」
 相手が名乗るより早く、ヤスリンは頭を垂れた。
「ご機嫌うるわしゅう」
 相手は手にした短杖で、軽く手のひらを叩く。銀と玉で装飾されたそれは、子爵位を表すものだ。
「何だ、知っていたか」
 と気をそがれたように杖をもてあそぶと、少女はヤスリンに立つよう促した。まるで彼女を驚かせようと持ってきたような口ぶりだ。
「嫌でも気づくわ。男装の麗人なんて、そうはいないでしょう」
 ふむ、と彼女は口元に手を当てた。会わない間に、より尊大になったようだ。地位が付いてくるからだろうか。
 世人には見慣れない赤い瞳も、その雰囲気をいや増していた。
 王家の血を引くエデルカイト家の一人娘は偉大な魔法使いでもあるそうだから、人一人の目をだまくらかすのはわけがないのだろう。彼女の正体に気づいて、色々な不思議にかえって合点がいった。
「それで、今日はどんな御用向きで?」
 どちらともなく庭をそぞろ歩きながら、ヤスリンは訪ねた。門の外で行儀よく待つ馬車には、トニエール子爵とエデルカイト家の徽章が併せて飾られている。服にしてもこの前とは違って礼服で、公式な訪問であるようだ。
 待ち受けたように、相手はぱっと笑って両手を広げた。
「御用も何も、ここは私のものだぞ」
「え?」
 唖然とするヤスリンに、相手は彼女の主人の名を挙げる。新しい子爵の就任に内心慌てふためきながら、必死で顔色をうかがう彼に言ったのだという。
「『お前の庭に咲く花が欲しいから、庭ごとよこせ』とな」
 花とは自分のことだとすぐに思い当たって、ほのかな喜びがヤスリンの胸中に咲く。本当にそう言ったのだろうか。自分のことを花と。
 素知らぬふりで、ヤスリンは先を促した。
「それであの方は?」
「あの男、知らぬ存ぜぬを繰り返したぞ。素直に渡したならまだ許す余地もあったが。首を振り続けた」
 と、少女は指先で首を掻ききる仕草をする。
「だから、切ってやった」
「なんてこと……」
 ヤスリンは眉をひそめた。長い間音沙汰がないとはいえ、彼には情がある。夫人や子供もいたはずだが、職を追われてどうなったのだろう。
「それで、あの方は今、どこへ?」
 ヤスリンの問いに、相手はきょとんとした顔をした。
「さあ。人夫が気を利かせていなかったら、まだ広場にあるんじゃないのか」
「?」
 今度はヤスリンが首をかしげる。
 やがて相手はお互いの誤解に気づいたようで、笑った。
「あの男の首と胴体を、切り離してやったんだ」
 赤い目は爛々と輝き、長い牙がむき出しになる、ぞっとするような笑みだ。
「―――――」
 ヤスリンの背中を、冷たいものが流れ落ちる。目の前にいるのは暴虐で知られた血族の娘である、と実感した。普通に言葉を交わしているのが、まるで夢か幻のようだ。
 それから見知った人の、見るも無惨な骸が、野ざらしにされているのを思う。トニエールの支配者として君臨していた彼が、かつて平伏させた人々の前で生きたまま、首を刎ねられたのだという。死んでしまえば富める者も貧しき者も同じ、その死体は今カラスについばまれでもしているだろう。
 浮かんだのは、やはり同情だった。泣いて喚くほどではない。しかし、かつて愛し、愛された人の最期がこうも非業なものであるとは、想像もしなかった。初めて娼婦と客としてまみえたときから、遠方からずいぶんと苦労して足繁く通ってきた時代も、妾としてここに呼ばれたときも、豪華な邸宅を与えられ、好きにしていいと言われたときも、最期の逢瀬まで、忘れがたい記憶で満ちている。
 ただ、何もかもが遠い。思えばこのところは、彼の来訪がないのを嘆くことすら忘れていた。せめて便りを、と枕を濡らすことも久しかった。
 待ち焦がれていたことは確かだ。門の外に人が立ち、自分の名を呼ぶのを心待ちにしていた。とはいえ、それが、誰を相手であったか――
 今の胸の高まりを思えば、自然と知れた。
 薄情なことだと、ヤスリンは自分の感傷を嘲った。今目の前に立つ相手は対照的に上機嫌で、ことのあらましを語り始める。
「元々ここへは、オルケー森の狼を見に行った帰りに寄ったんだ。でも思わぬ収穫だった」
 と、ヤスリンを見て言ったが、何もそれは彼女のことだけを指すのではないらしい。ヤスリンの背後の屋敷を見上げて、それからくるりと背中を向けて、木々の向こうに広がる金の稲穂を見つめる。
「何が不作続きだ。身請けだの別邸だの、そんな給金を奴に支払った記録はないぞ」
 吐き捨てるような、これは半ば独り言のようだ。
 ヤスリンにも事の次第が推測できた。どうやら、自分の言がかつての主人の不正を暴く糸口になったらしい。娼館にいた頃から、役人とはいえずいぶん羽振りが良さそうな男だとは思っていた。不作と偽って、辺境伯への上納を横領していたのだろう。
 さっき同情したばかりの相手に、今度は罪悪感が浮かんだ。そのつもりは全くなかったが、自分が彼の死の発端となったということだろう。自分が口をつぐんでいれば、あの雨の日に、少女を中に入れなければ、彼はまだ生きていただろうか。
 ざわざわと、後悔に似た思いがヤスリンの心からわき上がる。
 急に少女は振り返ると、黙りこくったヤスリンの顔を下からのぞき込んだ。
「主人を殺した私が憎いか?」
 単刀直入な問いで、一瞬返しに詰まる。
「さあ……どうかしら。小憎らしいとは思っているけれど」
 言いながら、認めるようなものだと自分で思った。
「そうか」
 にこりと、少女は笑う。それがこの上なく魅力的に思える程度に、恋をしている。あの夜以来。もう一度会いたいと、嵐の夜を待つくらいに。例えそうと知っていても、これからも何度でも、彼女をこの屋敷の中に招き入れるだろう。後悔など糞食らえだ。
「ついでに言えばな」
 だがすぐに、彼女の言葉は、ヤスリンを深い谷底に突き落とした。ぽっかりと三日月型に裂けた唇の間で、赤い舌がひらめく。
「あの男がここに来られなかったのは、私の相手で忙しかったせいだ」
「――――」
 めまいさえ、ヤスリンは感じた。
 暗い落とし穴に落ちていくような――いや、もう、とっくに罠の中だ。
 悪いものに捕まって、がんじがらめに縛られたのだと気づく。しかし、今さら逃げようがない。この想いを、どうしようもない。
「お前が寂しい思いをしたのは私のせいだが、それでお前の気持ちが離れてしまったのは私のせいじゃない。あの男のやりようが悪かったんだ」
 いけしゃあしゃあと、彼女は言った。
 あの日以来、たびたび贈り物がこの屋敷に届いた。花や木の苗であったり、菓子のたぐいであったり、珍しい異国の書が注釈付きで送られてきたこともある。送り主の名はなかったが、他に思い当たる節がない。あの少女だと、胸を高鳴らせた。
 自分を気にかける人がいるのだと、一人の孤独にも光が差したようだった。
 それさえも相手の思惑だったわけだが。
 ひらひらと、少女は手を振った。すっかり何もなくなったと示す。
「これで、私の種明かしは終わりだ」
 あの夜からずっと続いていた謀りが、ようやく終わったのだと言う。
「どうかしらね」
 信じられず、ヤスリンはいぶかしんで見せた。
 少なくとも自分はまだ渦中なのだから。心の在処にせよ、現実の所在にせよ。
「このお屋敷をどうするおつもり?」
 接収された財産の行方を問うと、相手は考える様子もなく答えた。
「買いたい人間がいれば売って、公庫の足しにする」
 ヤスリンにとってみれば、住む所を失うことになる。
 一度振り返って、屋敷の白い壁を見上げた後、ああ、とどこかでヤスリンは納得した。
 もともと、明日をも知れない身だ。娼婦でいた頃から変わっていない。
 結婚という正式な契約をしたわけではない。主人の寵愛を失って、この屋敷を追い払われるのは明日か明後日かとおびえるよりは、妙にすがすがしい気がした。
「それで、わたしは?」
 わざと聞くと、相手はまっすぐにヤスリンを見つめて言った。
「確かに庭は美しいが、こんな小さな屋敷に興味はない。私は花が欲しいんだ」
 魅力的な愛の告白だったが、それだけで心を傾けたとあっては、元娼婦の名も廃れよう。からかうように、ヤスリンは一歩引いた。相手の出方を誘う。
 少女は、笑った。
「おいで」
 と、片方の手を差し出す。
 あのときのように抱き寄せられるのを待ったが、とうとうそれはなかった。
 最後の一踏みは自分で決めなければいけないのだと気づいて、ヤスリンはためらった。
 ざあ、と風が吹いて、後ろになびいたヤスリンの長い髪を、不安が絡め取る。それはこの屋敷への、ひいては過去への、愛着や執着だった。停滞した日々の澱だ。
 ならば、と。
 目の前の少女は。
 これは未来でしょうと信じて、ヤスリンはその手をとった。


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<前もって何か語るとネタバレになるし、
 ネタバレになると語るだけでもネタバレなので、苦渋の後書き>

 というわけで、なんか色々詰め込んだお話でした。舞台背景とか、男装とか、ふたなりとか。ふたなりとか。この後ヤスリンはシェリーの愛人になって、しばらくトニエール城にいましたが、シェリーがベルスートに戻ったときに一緒に来て、今もそばにいます。ラブラブです。その話はまたいずれ。
 これでプリメイで書いた濡れ場は二作目なのですが、今回改めて実感しました。
 シェリーさん、本当に前戯いらないんだなあ、と。
 お手軽ね。そういう娘大好きよ。


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