第四幕 『三日三晩』

 雪が、数日降り続いたときのことです。雪がやんだらお客様があるということで、城内はざわついていました。
 この城でお客様自体は珍しいことではないのですが、中でも特別なお客様だそうです。しかも日帰りではなくて数日滞在されるから、ちゃんと準備をしておかなければいけないということです。聞けば、お嬢様の従妹いとこという方でした。ベルスートからは離れたソゾンに住んでいて、お嬢様とはとても仲が良いそうです。
「見目は可憐な方ですが、やはりお血筋でいらっしゃいます。気難しい所もおありですので、極力、御前に出るのは避けた方がよいでしょう」
 と評したのはエヴァでした。
 血筋というのは、つまりお嬢様と似通った部分があるということでしょう。これを聞いていたのでルディは、その人がベルスートに到着した日、いつもよりさらに息をひそめていました。久々の晴れ間に高々と空を飛ぶ鳥の、その鋭い目にだって気付かれないようにしていたのですが。
「もう少しで片がつく。そう伝えて、ついでに私が行くまでお前が相手をしてやれ」
 天ならぬ、お嬢様の采配は、無慈悲なものでした。


 おずおずと、ルディは客間に足を踏み入れました。
 お客様が着いたのは、正午を過ぎてからでした。いつもお嬢様が、執務に就く時間です。だからなかなか手が放せないのですが。
「どうしてお姉様は来てくださらないの!?」
 かん高い声がそれを出迎えます。さっそくのことに、ルディは身をすくませました。女の子の声です。こちらに背を向けたソファの向こうからでした。かたわらに立つ女がなだめます。
「シェリー様はおいそがしいんですよ、お嬢様。今は伯父上様に代わってこの城を治めておられるんですから」
「そんなことは知っているわ!」
 お客様が城に到着し、この部屋に通されてから、一時間ほどは経っているでしょうか。すでに温かい紅茶とお菓子のもてなしは終わったようで、テーブルの上は片付いていました。待たされて、気を良くする人はいないでしょう。そうでなくとも気難しい方だと、エヴァは言っていました。すっかり怯えたルディは、入り口から先の一歩が踏み出せなくなりました。立っていた女の方がそれに気付きます。
「お嬢様、お客ですよ」
 と、ソファに座る人に向かって、目配めくばせします。
「お姉様?」
 小さな影が、ぱっと立ち上がりました。
 振り返った、その笑顔の輝かしさといったら――!
 まるで、花が咲いたようです。
 ルディを見て、跡形もなく散ったとしても。人形のような愛らしさは少しも変わりません。ぱっちりとした大きな目は、長いまつげに縁取られています。頬はバラ色、小さな唇は赤く、不機嫌そうによせられた眉根すら、可愛らしいと思えるのです。全身、真っ白な衣装を着ていました。つややかな黒髪がうっとりするほどえます。
 ああ、お姫様だ――とルディは思いました。お母様が話してくれた、『黒ばら姫と白ばら姫』? それとも、『竜に捕らわれたお姫様』? お城に住んでいる、ドレスを着た、きれいなお姫様です。
「だれ?」
 呼びかけられて、はっとしました。見とれてしまっていたのです。答えを探すあいだに、矢継ぎ早に質問が飛んできました。
「お前、見ない顔ね。何故ここに来たの? そのはしたない格好は何?」
「あの、僕は……お嬢様に言われて……あ、シェリー様の、侍女です。これは、お嬢様が……」
 はしたない格好とは、きっとこのスカートのことでしょう。すそが短くて驚かれるのはよくあることでした。ストッキングを履いているので、脚が見えることはないはずなのですが。
「髪が短いのは何故? それもお姉様のお言いつけ?」
「それは……」
 確かに、女は髪を長く伸ばすのが決まりのようでした。男で髪が短いのは普通でしたし、長い人もいます。けれど女で髪の短い人は、お嬢様以外にはいません。
 ルディは、あったはずの髪の感触を思い出して、意味もなく肩のあたりを触りました。この城に来る前、ルディの髪は背中の真ん中くらいまでありました。けれどそれは伸ばしているというより、だれも切る人がいないから伸ばしっぱなしになっていただけで、滅茶苦茶に絡まった上に、ほこりと油で汚れきっていました。洗濯桶の中でゆすいでもほどききれないものですから、切られてしまいました。
 しかしそんな事情を、不機嫌を絵に描いたような人を前に、長々と説明する勇気はありません。なんとかルディは、短い言葉で説明しようと試みました。
「あの、ごめんなさい……僕、男の侍女だから、普通と色々違うのです」
 だいたいの人は、お嬢様の名前と合わせてこれを言うと、少なくとも上辺うわべだけは納得してくれるのです。
 少しの間を置いて、悲鳴が上がりました。
「いや! 何なの? 信じられない、こんなものが、お姉様のおそばに――!」
「お嬢様、お声が大きゅうございます。お静かになさいませ」
 女――侍女でしょう――は、お姫様の体を押さえるような仕草をしましたが、怒りに満ちた声の勢いは、その手を跳ね飛ばすようでした。
「何のつもり!? そんな格好で、私の前に!」
「お嬢様が……」
「お前はそれしか言えないの!?」
 ルディは言葉を失いました。
 そう責められても、本当に、ルディの意思とは無関係なのです。知らないあいだにここに連れてこられ、髪を切られ、服を着せられ、侍女になるよう言われました。選択肢など初めからありませんでした。それでも責められるのは、自分がぐずだからでしょうか。
「汚らわしいわ!! 恥を知りなさい! だいたい、私が待っていたのはお前などではないわ! お姉様はどこ!? いつまで黙っているの!? 無礼な召使い! 答えなさい!」
 手こそあげられなかったものの、こんな風にまくし立てられるのは、あの家以来のことです。ルディはすっかり萎縮してしまいました。とても情けなく、この場から消え入りたいと思いました。目の前に立つ女の子はルディより小さくて、それでもその剣幕といったら、ルディの気力を萎えさせるには十分過ぎるほどです。この頃は、人前で、求められれば答え、ときには自分の方から口を開くこともできるようになったというのに。お嬢様だって、ルディにここまで声を荒らげることはありませんでした。
 ルディが頭の端に思い浮かべた、その時です。廊下へ続くドアが開きました。その向こうから、堂々と現れた人がいます。
 黒く短い髪に赤い眼。かっちりとした上下の揃いを着ています。ルディにとっての、お嬢様です。
 部屋の中を見回し、中の人それぞれの視線を受け止めてから、ゆっくりと口を開きます。
「待たせたな、アイメテ」
 ああ、そうです――ルディは、お嬢様の視線の先を追いました。このお姫様は、アイメテ様というのです。先に人から聞いてはいましたが、本人に確認するひまさえありませんでした。
「お姉様!」
 アイメテ様は顔を輝かせて、お嬢様に駆けよりました。お嬢様は優しくその手を取り、口づけます。
「元気そうで何よりだ」
「お姉様も。お久しゅうございます。私、長い間お姉様とお会いできなくてどれほど寂しかったことか」
「愛しい妹よ、私もだ」
「お姉様……」
 アイメテ様は目を閉じて、お嬢様の胸に頬をよせました。
 お嬢様とアイメテ様は、それぞれのお父様が兄弟の従姉妹いとこ同士なのですが、まるで実の姉妹のように仲が良いと、これも先に聞いていました。だからアイメテ様はお嬢様のことを、『お姉様』と呼ぶのです。
 お嬢様にしても、アイメテ様が来られると知らせを受けてから、ずっとそれを心待ちにしていたことを、ルディは知っています。
 こうして目の前にしてみても、やはりお嬢様とアイメテ様の間には、他の人にない特別な親密さを感じました。二人とも、お互いのことが大切でならないと、表情から、声色こわいろから、ふれ方から知れるのです。
 アイメテ様の頭をなでながら、お嬢様は声をかけました。
「マリーシア、お前も久しいな」
「お言葉、勿体もったいのうございます」
 アイメテ様の侍女――マリーシアは、スカートのすそを軽く持ち上げ、深く膝を折りました。
「叔母上は息災そくさいか」
「皆様、変わりなく過ごしておいでです」
「お父様もお母様も、お兄様の赤ちゃんにかかり切りですの! 私のことなどほったらかし。だからこうして一人で、お姉様に会いに来られましたのよ」
「ああそうか、お前は伯母になったのだな。なんと可愛らしい伯母だろう」
「お姉様ったら」
 アイメテ様は、一瞬でもお嬢様にはよそを向いて欲しくないと、言わんばかりでした。
「ルディ、お前もご苦労だった」
 その様子をまぶしい気持ちで見ていたルディは、お嬢様の視線をまともに受けて、慌てて顔を伏せました。すっかりこの場の関心が自分からそれたのだと、油断していました。
「いえ……」
 実際の所、ルディは何一つ、言われたことをできていないのです。お嬢様の到着が遅れると伝えることも、アイメテ様のお相手をすることも。代わりにアイメテ様になじられていただけでした。意気地いくじのない自分を情けなく思いました。
「どうした、顔を上げろ。謙遜はお前の美徳だが、過ぎればほまれの好機を失うぞ。胸を張れ」
 こんなときに限ってお嬢様がいたわりの言葉をかけるので、どうしていいか分かりませんでした。お嬢様の言うことを否定するわけにもいきません。ルディはわずかに顔を上げ、小さく答えました。
「はい……」
 アイメテ様はお嬢様を見上げて、それから、きっ、とルディをにらみつけました。ルディが身をすくませる一瞬の内に、またお嬢様へと笑顔を向けます。
「お姉様、とても珍しい侍女を見つけられましたのね」
「ああ、ルディのことか。ロバの子を拾ったのだ」
 ルディは頬を赤らめました。ふとしたはずみで言ったことを、まだ覚えられているのです。
「ロバ?」
 アイメテ様は大きな瞳を瞬かせました。
 お姫様にロバなんて分かるかしら、と考えて、それもまた失礼な心配だったかと、思い直します。
 胸の内は、複雑でした。ロバというのは家の人が、ルディをののしるときに使った言葉です。レントウにも聞いてみました。世間でもロバと言ったら、ばかな人のことを指すようです。そして、偉い人、お金のある人は馬を飼います。ロバは、貧しい農民の持ち物でした。だからロバはばかにされるのです。けれど、お嬢様はそうは思っていないようでした。
「そうだ、ロバの子だ。良く耐え、良く働く。ロバのようにまつげが長いし、仕草も愛らしいだろう」
 とこれは、ほめているのでしょうか。胸の奥がむずがゆくなりました。ざわざわと落ち着かなくて、ふるい落としたくなります。高貴な生まれの人なのに、ロバのまつげだなんて、おかしなことを知っているものです。笑って言うから、冗談なのか本気なのか、よく分かりません。どういう顔で聞いていればいいのかも。
「まあ」
 アイメテ様は首をかしげて、にこりと笑いました。
「きっと良い侍女なのでしょうとも。私、一目見て、あの子がとても気に入りましたわ」
 ――ルディは耳を疑いました。
「ねえお姉様、私のお願いを聞いてくださいます?」
「お前の願いだ。力の及ぶ限り叶えよう」
「嬉しい、お姉様」
 はにかんで、アイメテ様はルディを指さしました。
「ではお姉様、あの侍女を私にくださいませ」
 息をのみます。
 いったい、どういうことなのでしょう。アイメテ様とは、さっき出会ったばかりで、まだお互い名乗りもしていません。むしろ先ほどの剣幕を思えば、アイメテ様はルディのことが気に入らないのだと思えたのですが。それなのにルディのことが欲しいだなんて、あまりにも唐突です。確かに、お嬢様に連れてこられたときのことを思えば――それに比べれば――しかし侍女とは、こんな風に、やりとりされるものなのでしょうか。
 ルディの混乱をよそに、お嬢様はこともなげに答えました。
造作ぞうさもないことだ。そんなにつつましい願いでいいのか?」
「はい」
 殊勝にうなずくアイメテ様を見て、あごに手を当てる、考えこむ仕草をします。
「ふうん……そうだな。もちろん、お前が望むなら喜んで送り出そう。だが今ここでお前に二つ返事であの者を与えて、お前は無下むげにはしないだろうか」
「まさか。お姉様からの贈り物ですもの。勿論、大切にしますわ」
「それはどうかな。努力も対価もなしに得られた成果に、価値を見出す人間は少ないものだ。どうせなら私はお前に、より価値のある贈り物をしたい」
「とおっしゃると?」
 首をかしげたアイメテ様に、お嬢様は笑いかけました。手のひらを伸ばして、ルディを示します。
「アイメテ、賭をしよう。あの者に、私とお前のどちらかを選ばせる」
 ――今度こそ本当に、ルディは自分の耳が、いいえ頭が、どうにかなったのかと思いました。だれが、何を選ぶと――
「お姉様、それでは不公平ではありませんか。あの侍女は元々お姉様のものでしょう? お姉様の方にがあるに決まっています」
「私もあれを拾ってまだそう経ってはいないがな……。だがいいだろう、お前が帰るまで、三晩やるとしよう。どんな手を使ってもかまわん。懐柔かいじゅうしてみせろ」
 お嬢様はおだやかに、いかにも優しげに笑います。
「叔父上も叔母上も、お前を子供のように扱いたがるが、もう十四だ。望むものを自らの手で勝ち取る喜びを知っても良い年頃だろう」
 アイメテ様は感じ入ったように頬を染め、うるむ目を細めました。
「嬉しい、お姉様……」
 そしてお嬢様の胸に顔をうずめます。前よりいっそう親密に、二人は抱き合いました。
 ルディのことなど、まるでお構いなしに。
 どうして、こんなことになったのでしょう。
 ルディはまだこのお城にも来たばかりで、やっと毎日の流れをつかみ始めたばかりです。それなのにこんな選択肢を突きつけられることになるとは、思いもよりませんでした。


 それから、ルディの奇妙な生活が始まりました。
 夜は、アイメテ様の所に行くよう言われました。かといって昼間の仕事が免除されたわけではなくて、それまでと同じようにお嬢様にお仕えしました。空き時間に図書館にも行きました。そして夜になり、ルディはお客様のための寝室を訪れました。
「いらっしゃい。よく来てくれたわ」
 あの輝くような笑顔が、ルディを出迎えました。ルディは驚いて、半歩あとずさりしました。それを見て、アイメテ様は困ったように首をかしげます。
「お姉様のおっしゃったことなら、気にしなくていいのよ。あれではまるで、私が貴方をいじめるみたいじゃない」
 ルディが驚いたのはそのためではないのですが。
「お洋服だって毎日着せ替えてあげる。スカートが好きなの? 私の服が入るかしら? きっと似合うわ」
 アイメテ様はルディを部屋に招き入れました。ベッドが一つと、小さめの物書き机、それからソファとテーブル、鏡台。置いてある物は、お嬢様の寝室とそう変わりません。思えば、この城に来て最初に待たされていたのは、この客室でした。どうりで、目を疑うほど豪華な作りをしていたわけです。おそらく、何か手違いがあって、あの部屋に通されたのでしょう。今ならそう推察できます。
 普段は使われませんが、今日のためにと掃除女中がきれいに掃除してあります。そこに自分が居座ることに、気まずさを感じました。部屋のすみには、アイメテ様の侍女のマリーシアが、静かに座っていました。ルディを見てわずかに会釈えしゃくをします。
 ルディをソファに座らせ、アイメテ様は自分もその隣に腰かけました。体ごとルディの方を向きます。
「そうだ、私の城に来たら、毎日お菓子をあげるわ。カラメル・メドゥンにショコラーデ・クーフ。お母様がお好きなの。異国の珍しいお菓子もあるのよ」
 ルディは慣れない会話に目をしばたたかせました。いくらお嬢様も女の人だといっても、なかなかこんな話題にはならないものです。
 あのあと、お嬢様とアイメテ様は手に手を取って、庭を散策したり、お嬢様の部屋でおしゃべりをしたりしました。二人が目に見えるような仲むつまじさを周囲に振りまくせいもありましたが、アイメテ様が来たというだけで、どこか、城内全体が華やいだ空気です。
「貴方はどんなお菓子が好き?」
 お菓子――と呼ばれるようなものを、ルディはまだ食べたことがありません。意味は知っているのですが。アイメテ様の所では毎日、お茶の時間にお菓子が出るのでしょう。それの相伴しょうばんに預かるようなことが、侍女ならあるかもしれません。しかしベルスートでは、お嬢様は甘いお菓子よりも、薄く切ったパンにハムやチーズを挟んだような軽食をよく食べます。
 ルディは口をもごもごさせました。お菓子を食べたことがないから、返事に困ったというのもあります。しかしそれだけではなくて、まだ、最初の驚きの余韻から抜け切れていませんでした。
 ルディが驚いたのは、アイメテ様が笑顔で迎えてくれたことです。昼間、アイメテ様はずいぶんルディに腹を立てていたので、また何を言われるかと身構えていました。しかしアイメテ様にそんな素振りは全くなく、まるで最初から親しかったかのように接してくれます。ルディの心の底には、言われたことがまだ泥のようにわだかまっているのですが。
 答えないままのルディの顔を、アイメテ様は覗きこみます。
「ねえ。私、貴方のことが知りたいの」
 とはいえ、その大きな瞳で見つめられたら――だれだって、無下むげにはできないでしょう。昼間の件は何か、勘違いだったのではないかと思えるほどです。
 アイメテ様はさらにルディの方に身を乗り出しました。
「貴方はどこの生まれなの? ベルスート?」
「そこで何をしていたの?」
「お姉様とはどうやって出会ったの?」
 なんでもアイメテ様の望むように答えてあげたいと、心は思うのですが。
 何度か、ルディは似たような質問を受けたことがあります。そのときの経験から、ありのままを話して気持ちのいいことではないと学んでいました。相手にとっても、ルディにとっても。家では毎日殴られていましただとか、その家は燃やされてしまいましただとか。たいていの人はそれを聞いて、黙りこんでしまうのです。そしてルディを気の毒な目で見るものですから、かえってその気づかいが申し訳なく思えました。
 だからといって適当な嘘をつくこともできず、「ええ……」とか、「まあ……」とか、曖昧な答えになってしまいます。
 そんなやりとりが続いて、アイメテ様は首をかしげました。
「無口なのね。おしゃべりは嫌い?」
「いえ…………ごめんなさい……」
「いいのよ。私も、うるさいのは嫌い」
 寛大に、アイメテ様は微笑みました。
「きっと二人とも緊張しているのね」
 仕切り直すように、ルディから身を引き、立ち上がります。アイメテ様が背を向けたことで、また二人の間に距離が生まれたことで、ルディは少し肩の力を抜くことができました。
「もう少し、ざっくばらんにお話ししましょうか」
 アイメテ様はルディに背を向けたまま、高いヒールの付いた靴を脱ぎ捨てました。改めて注目してみると、よくそれで歩けるものだと、感心するほど高いヒールです。白いストッキングで、絨毯じゅうたんの上に降り立ちます。さぞ窮屈きゅうくつだったことでしょう。アイメテ様が楽に過ごせるなら、ルディは裸足はだしなんて気にしません。けれど一方で、純白のストッキングが土ぼこりで汚れてしまうのは、罪深いことのように思えました。
「お嬢様、はしたのうございますよ」
「あの……何か、履き物を持ってきましょうか……」
 マリーシアとルディの二人に同時に言われて、アイメテ様は顔をしかめます。元々お互いが立った状態でもアイメテ様はルディより小柄なのですが、高いヒールを脱いでしまうと、さらに小さく、可愛らしく見えました。
「いいじゃない、少しくらい。せっかくお母様がいらっしゃらないのだから」
「私がおそばにおりますことを、お忘れなさりませんように」
 この場でマリーシアが口を聞いたのは、初めてでした。彼女にしろエヴァにしろ、侍女というものはきっと無口なものなのでしょう。
 アイメテ様はぷいとそっぽを向きましたが、物書き机に目をとめて、しぶしぶ言いました。
「ではここに座るわ。こちらに向けて」
 マリーシアはすっと立ち上がると、物書き机のイスを引き、ソファに向かい合わせました。アイメテ様はそこに腰かけます。
「これでいいでしょう」
 マリーシアは何も言わず、白い絹張りの足休めをアイメテ様の足元に置き、脱いだ靴をそろえました。
 アイメテ様は改めてルディに向き合います。
「いつもお姉様とは、どんなことをしているの?」
 靴を脱いで少し開放的な気分になったのか、イスのひじ掛けにしなだれかかります。黒く、長い髪がさらりと揺れ落ちて、白いドレスの上に様々な曲線を描きました。
 結婚したり、働き出したり、あるいはある程度の年になると、女は髪を結うようになります。それから足下までおおうスカートを履くようにもなります。大人の女が人前に出るとき、長い髪をそのままにしたり脚を見せたりするのは、はしたないことだとされていました。まだアイメテ様が髪をわずに、膝から下の見えるスカートを履いているのは、それが許される年齢だということでしょう。スカートから伸びる脚はほっそりとしていました。
 どんなことを、と言われても、ルディはけっしてお嬢様の遊び相手というわけではないのです。アイメテ様の話を聞いていると、まるで侍女とは、着せかえや楽しくおしゃべりをして時を過ごす相手のようでした。相手と場所が変われば、ずいぶん違いがあるものです。
 この城で侍女の仕事といったら、考えてもきりがないほどです。
 たとえば、朝起きて、お嬢様の着替えのお手伝いをします。そのためにはまず、お嬢様のその日の衣装をあらかじめ考え、支度しておかなければなりません。脱いだ服が汚れていれば洗濯場に持って行きます。洗濯に出して、戻ってくるまでのあいだになくなったりしてはいけませんから、どんな服を洗濯に出したか、控えておきます。衣装室の中は常に清潔に保たなければ、虫やカビがわきます。服の管理は侍女の重要な役目でした。しかも立場のある人でしたら、毎日同じ服を着ていては恥をかきます。それでいて他の人と比べてちぐはぐな格好でもいけませんから、世の流行りには常に気を配らなければならないとルディは教わりました。
 服に関してだけでもざっとこれほどの仕事があります。
 午前中、お嬢様は中庭で剣の鍛練をします。その間にお嬢様の部屋を片付けるのも、侍女の仕事でした。城内には掃除を専門とする女中もいるのですが、偉い人の部屋はそれぞれのお付きが掃除するのがこの城の慣習でした。
 午後、お嬢様は執務室で仕事をするのですが、そのかたわら、よく、細々こまごまとしたことを命じられます。ありとあらゆる雑多なことです。お嬢様に代わって人を呼びに行ったり、手紙を出したり、お客様を取り次いだり、あるいはお嬢様の予定に合わせて他の使用人に仕事を手配するのも侍女の仕事です。お嬢様に呼ばれればすぐに応えられるよう、別室に待機しています。用事さえなければ待っている間は自由なのですが、遊んでいて良いというわけではなくて、ルディの場合は、決められた時間に図書館を訪れ、勉強をしています。
 と、そんなことを、アイメテ様にうながされてどうにか、途切れ途切れに答えていきました。
「朝は? 何時くらいに起きるの?」
「夜が、明ける前に……」
「それからお姉様のお着替えを?」
「そうです」
「お姉様が剣の練習をされてる間は?」
「部屋を片付けて、午後の準備をします」
「お昼は?」
「お嬢様に言われたことを。手紙を出したり、人を呼んだり……図書館に行ったりも、します」
 順序立てて上手く説明するのが苦手で、でもなんとか問われたことには答えられているかしら、と思います。
「ふうん」
 と、アイメテ様はひじ掛けに半身を預けて、首をかしげました。何となく、当てが外れたという顔です。
「あまりお姉様とは一緒にいないのね」
 それは、そうでしょう。お嬢様の代わりに用事をするのが侍女の仕事ですから、一緒にいては片付きません。
「夜は? お姉様がお休みになる前は?」
「寝支度をして……」
 ちょうど、今時分です。ルディはいつもの光景を思い浮かべました。
 お嬢様はいそがしい一日を終え、くつろいでいる頃でしょう。今夜はだれと、過ごしているのでしょうか。一人ということは滅多になくて、だれかを呼びつけるか、だれかの部屋に行くか、どちらかでした。この城の中だけでも、お嬢様が夜を共に過ごす相手は何人か――何人も、いました。
 夜というのは、人の心を惑わすものなのかもしれません。闇の中では、どんな声も、姿もおおい隠されてしまいますから。
「夜は……その……」
 喉がつまった風になりました。それまでも、なめらかに動いていたとは言いがたいのですが。少なくともルディはちゃんと前を向いていられました。しかしこれ以上アイメテ様をまっすぐ見ていられず、目をそむけます。
 アイメテ様は大きな目を、すっと細めました。
「どうしたの? 言いなさい」
「いえ……ごめんなさい…………」
 夜は、秘密をその内側に隠した時間でした。他のだれも呼ばず、ルディが一人でお嬢様の前に立つことがあります。そんなとき、決まってお嬢様は――
「言えないようなことなの?」
「…………ごめんなさい……」
「いいわ」
 アイメテ様は、微笑みました。
「お前は、しゃべるのが得意ではないようね。答えない無礼を許してあげる」
 お嬢様と同じ顔です。口の端を上げて、目を妖しく輝かせる――獲物を前にした獣のような。
「口の代わりに、体で示しなさい」
 唇を開けて笑うと、わずかに牙が見えました。
 ルディの背筋を、冷たいものがすべり落ちます。ああやはり、血筋なのです。
「お姉様と、何をしているの?」
 その表情で、その声で、命じられたら、ルディはあらがえないのです。
 ソファから腰を浮かし、力なく、絨毯じゅうたんの上に座りこみます。
「そこじゃないわ」
 すぐに、静かな――しかし有無を言わさない声が飛んできました。アイメテ様は、自分の座るイスの足元を指します。
「ここに来なさい」
 言われるままに、ルディは床に手をつき、そこまで這いよりました。アイメテ様を見上げます。
「お姉様は、お前にどんな風になさるのかしら」
 さっきまで天使のように笑っていたアイメテ様が、今は残酷な獣の目でルディを見下ろしています。
「あの、アイメテ様……」
「しゃべるなと言うのが分からないの?」
 アイメテ様の小さな足が、ルディの肩を蹴りました。
「っ…………」
 倒れるほど強くはありませんが、皮膚のすぐ下の骨を打たれた痛みに、ルディは顔をしかめました。
 両手を胸の前で組んで、上半身をうしろに反らします。ちょうど、下半身をさえぎるものが何もないように。
「ふうん、思ったとおりね」
 スカートの上から、アイメテ様は純白のストッキングを履いた足で、ルディの下半身に触れました。すぐに、そこは反応しました。熱を持ちます。
 いつも、お嬢様がするような、靴底とは違って、ぐにぐにとやわらかく、そして温かい感触がします。ルディは息をひそめて、さざ波のように押しよせる感覚をこらえようとしました。しかし意識をすればするほど、かえって頭の中でその感覚は大きくなるばかりです。
 きっとルディの熱も、アイメテ様に伝わっているでしょう。
「あら……ふうん」
 アイメテ様はルディのそれ――ペニスを、根元から先までなぶって、異質な感触に足を止めました。先の裏の、筋になっている部分には、金属の輪がとりつけられていて、その鎖が首輪までつながっています。戒めだと、付けられたものです。
「これは、鎖?」
 アイメテ様は足の裏で、左右にペニスを押し転がしました。鎖がぶつかり合い、ちゃりちゃりと、小さな金属音をたてます。
「う……っ」
 たまらずに、ルディは小さく声を漏らしました。金属の輪につられて、内側から引っ張られるようです。戒めであるはずの器具が、ルディのさらに深くをさいなみます。
「……いやだ、動くわ」
 アイメテ様は笑って言いました。かぁっと体が熱くなります。自分でも分かりました。アイメテ様の足の裏で、ペニスはひくひくと脈打っています。
 ルディの、一番嫌いなときでした。
 これが罪深いことだと頭の中では分かっているのに、体が言うことを聞かないのです。耐えなければいけないのに、いつも失敗しています。許されれば、きっと、自分の手でそれをつかんでいたでしょう。あるいは腰を浮かせて、床に擦りつけていたでしょう。頭の片隅でさえそう考えてしまう自分が、いやで仕方ありません。
 何度も、アイメテ様はペニスを擦りあげました。足の平で押しつぶしたり、指の間に挟んでしごいたりします。敏感な部分がシュミーズとじかにこすれあいます。すべりを良くするために、なめらかで薄い生地でできています。その上の、スカートの裏地はシュミーズより少し堅く、スカート本体はさらに厚くしっかりとしています。上に重ねられたエプロンは実用というよりほとんど飾りですから、案外薄いものです。そしてきっとアイメテ様の足を包むストッキングは、つやめく絹でできていて、とてもやわらかく、肌触りがいいのでしょう。何枚もの布を通して、それぞれの質感がルディの心を掻きむしりました。直接、靴の下に据えられるよりもずっと遠くて、もどかしさに、衝動が喉の奥から突き上げそうになります。
 けれど、アイメテ様の白いストッキングは、汚れてしまうのが忍びないと、さっき思ったばかりです。奥の歯をルディは噛みしめました。くり返し打ちよせる感覚の波を押し留めます。
 アイメテ様の足の、柔らかさと温かさ、床の堅さと冷たさに挟まれて、頭がおかしくなりそうでした。しかし歯の間から浅く呼吸をくり返し、なんとかルディは耐え続けました。
 どれほど経ったでしょうか。何度もペニスを、くまなくいたぶったあと、アイメテ様は足を離しました。優雅な動作で、足休めに置きます。
「マリーシア!」
 対照的に、苛々いらいらと、寡黙な侍女を呼びつけます。
「どうしてうまく行かないのかしら」
 それまで、先と変わらず部屋のすみから二人を眺めていたマリーシアは、アイメテ様のすぐ側に立ちました。考えのつかめない目で、ルディを見下ろします。
「こんな格好をしているくらいですから、女性に興味がないんでは?」
「どういうこと? お姉様に仕えておきながら、なんて無礼なのかしら!」
「ですから、シェリー様は殿方のような格好をしておいでじゃございませんか」
 責め苦から解放されて、ルディは細く長く息を吐き出しました。マリーシアの言うことは、まるで意味が分かりません。『興味』とは、どういうことでしょうか。しかしアイメテ様は納得した様子でした。高飛車に言い放ちます。
「ふうん……それはそうかもしれないわね。じゃあお前がなんとかなさい」
「あいにく私も女でございます」
「口答えばかり、何か策を思いつかないの?」
「あるにはありますが。私はこちらの方々と違って、こういうことを得手えてにしているわけではございません」
「いいからおやりなさい!」
 マリーシアは返事の代わりに、アイメテ様に会釈えしゃくを一つしました。あきらめて肩をすくめたようにも見えました。それから、床に膝をつきます。ルディを見る目は、相変わらず無感動なものでした。
「失礼」
 一言だけ声をかけ、ルディの体を横に押し倒します。服を通して二の腕に触れた床の硬さに、ルディは身をふるわせました。今度はいったい何をされるのでしょう。
 マリーシアは、唐突にルディのスカートをめくりました。ストッキングのガーター以外、下には何も履いていませんから、下半身があらわになります。ルディは、思わずスカートのすそを押さえて、前を隠しました。とっさの行動に、また怒られるかもしれないと息をひそめますが、マリーシアは意に介した様子はありませんでした。そこが目的ではないようで、代わりに、尻をなでさすります。冷たい手でした。ぞくぞくと、不気味な感覚がルディの体を駆けめぐります。一通り、形や位置を確かめたような素振りをして、それからマリーシアはいきなり、何かをルディの中に突き入れました。
「い――っ」
 ルディの口から悲鳴が漏れました。痛みというよりは、驚きのためでした。細長いものが、中で動きます。指、でしょう。ルディにとっては予測だにしなかったことですが、アイメテ様は平然としていました。肘をひじ掛けについたまま二人を見下ろしています。
「あらマリーシア、どこでそんなことを覚えたの?」
 問い返す声も、平然としていました。
「お嬢様はどちらで?」
「あの家にいればいやでも覚えるわ」
「左様にございますね」
 ルディの困惑などお構いなしです。
 その穴は、体の中でも一番汚い場所です。そう認識していました。現に、ひどい臭いがただよってきます。きっとマリーシアの指も汚れているでしょう。けっして人に見せるべきではない場所です。それなのに今、出会ったばかりの人にさらけ出して、こんなことまで――
 痛みと、気持ち悪さと、恥ずかしさが混然としました。マリーシアの指がうごめくたびに、ざわざわとえづくような感覚が、下半身から喉へとこみ上げます。
 すぐに、穴は押し広げられました。二本、三本と、マリーシアは指を足したようでした。今度こそ痛みで、ルディはうめきました。
「や――ごめんなさいっ、やめてくださ――」
「黙りなさい!」
 すぐに、アイメテ様の一喝が降ってきます。ルディは嗚咽をこらえるために、喉に力をこめました。指は、無造作に中を動き、出し入れされました。そのたびに爪が敏感な内壁をえぐります。三本の指で、めいっぱい入り口を開かれたときは、たまらず喉の奥から、声にならない悲鳴が漏れました。
 何度も感触を確かめたあと、マリーシアは口を開きます。
「当てが外れたかもしれません。まだほぐれていないようでございますね」
「あら、そうなの。ふうん……日が浅いというのは嘘ではないようね」
 アイメテ様の声は、軽やかに弾みました。
「でも上出来だわ、マリーシア」
「できれば他のことでお褒めをいただきとうございますね」
 何故かは、ルディにも分かりません。しかしペニスははっきりと、反応していました。スカートを押さえる手の下で、大きくふくれ上がっているのです。アイメテ様は見逃しませんでした。
「どけなさい」
 つま先が、ルディの手を蹴散らしました。ルディの手よりも小さくて、か弱い足です。それでも振り払う勇気はありません。ルディは横たわったまま胸の前で両手を握って、襲い来るであろう辱めを待ち構えました。
「――――っ」
 再び、スカートの上から、アイメテ様の、絹に包まれた足が、ペニスに触れます。触れられただけで――さっきは我慢できたものが――たまらず、アイメテ様の足の下で、びくんと跳ね上がります。反り返って、裏側の敏感な部分を自らさらけ出すようです。
「あら、さっきとずいぶん違うわね」
 アイメテ様は、残酷に微笑みました。頬はリンゴのように赤く輝いています。
「どうやら、お前を律するには優しくしていては駄目なようね。しつけには厳しさも必要だものね」
 床にペニスを押しつけ、踏みにじります。もはや布ごしのあまやかさは消え、容赦のない責め苦がルディを襲います。幹の部分を一気に、下から上までしごきあげます。合わせるように、マリーシアの指がルディの中を大きくまさぐりました。
「――――っ!」
 がくがくと、腰がふるえます。ルディは両手を、白くなるまで握りしめました。与えられる痛みと、内からの衝動に、理性は押しつぶされます。
 アイメテ様の指先が、ピアスの通っている肉の間をねじります。
「あ゛っ」
 喉の奥から、悲鳴とも吐息ともつかない声が漏れました。こらえきれたと思っていたものは、もうそこまでせまっていました。体の芯から噴き出る衝動に、全身が堅く張りつめます。
 同時に、マリーシアの指先が、ルディの奥深くをえぐりました。
「――――!」
 悲鳴を喉の奥で押し殺して、ルディは果てました。ペニスがスカートの下で跳ね、白濁をまき散らします。中は、マリーシアの指を、形が分かるほど締めつけます。
 声をあげて、鈴のように、アイメテ様は笑いました。小さな手をぱちぱちと合わせます。
「なんだ、簡単なことだわ」
 白濁を吐ききって力を失ったペニスを、さらに足の下で転がします。ルディの口から「ひぃ」と悲鳴が漏れました。マリーシアの指が余韻も許さず、引き抜かれたのもまた、たまらないことでした。
 アイメテ様はルディを見下ろして、目を細めました。
「ねえ、貴方、明日も来なさいな。これが好きでしょう? またしてあげる。いいわね?」
 選択肢などありません。
 かすれる声で、ルディは「はい」と答えました。


 足をもつれさせながら、ルディは部屋に帰りました。独りになって、服を脱ぐと、思ったとおりシュミーズは前もうしろもひどく汚れてしまっていました。血もにじんでいます。体に残る痛みと違和感よりも、服が汚れたことの方が妙に悲しく思えました。自身の身に起こったことに、涙は出ませんでした。
 すべて遠いことのようです。
 ルディは理解しました。お嬢様かアイメテ様、どちらかを選ぶように言われました。
 どちらでも、同じことなのです。
 なじられ、いたぶられ、無下むげに扱われる。それはルディがどこにいようと、ベルスートだろうと、ソゾンだろうと――あの家にいたって、変わりはないでしょう。
 今さら、道を二つ示されたところで、その先はどちらも暗いものに思えました。
 ルディは水場まで行き、冷水と石鹸で、落とせる限り服の汚れを落としました。ろうそくのゆらめくあかりの元では判別がつきませんが、染みが残るかもしれません。
 ルディの胸の内のようでした。
 曇った心で、ルディはベッドに体を横たえ、眠りにつきました。


   ***


 次の日の夜も、ルディはアイメテ様の元を訪れました。
 服や甘いお菓子の話題は口にのぼることもなく、最初からアイメテ様はルディを床に横たわらせました。自分は靴を脱ぎ、イスに腰かけます。白いドレスが繊細なひだを作ります。
 マリーシアはどこからか、奇妙な形の木の棒を調達していました。表面はよく磨かれ、てらてらとしたつやがありました。その、張り型というらしい道具を、ルディの尻にあてがいます。張り型の冷たさに縮こまった所に、間を置かずに、ねじ入れられます。
「んぅ――っ」
 昨日つけられたばかりの傷が開いて、ルディはうめきました。アイメテ様が笑います。
「そんな声を出して。これが気に入ったの? これが欲しくて、ここに来たのね」
 ルディは唇を引き結びました。ルディが来たのは、望んだからではありません。昨日の夜、また来るように言われたからです。行くなと言われれば、そうしたでしょう。
 せめて、苦痛が長引かないよう、ルディは祈っていました。だから抵抗せず、命じられるままに横になったのです。覚悟してのことではありましたが、相変わらず、下半身をさらけ出すのは恥ずかしくて、頬が熱くなりました。うしろの穴を押し広げられる、痛みとおぞましさの入り混じった感覚も変わりません。
 アイメテ様の、純白の絹に包まれた足が、昨日と同じように、服の上からルディに触れます。
 ルディは息をひそめました。スカートの下で、ペニスが張りつめます。アイメテ様は幹の部分を指先でなでました。
「昨日、何をされたかをお姉様に言った?」
 一番隠しておきたかった部分を、言い当てられます。ルディはぎくりとしました。
「いえ……」
 今日も、昼間はいつものように、侍女としてお嬢様の側で働きました。昨日の夜のことについて聞かれはしないかと、ルディはびくびくしていたのですが、お嬢様は何も言いませんでした。あるいは、二人で過ごす内にアイメテ様が言ってしまったのではないかとも、ルディは恐れていました。
 けれどどちらも杞憂きゆうに終わったようです。とてもみじめで情けないことですから、知られたくありませんでした。言えば、きっとわらわれるでしょう。ルディの口からも、アイメテ様からもお嬢様が知らせられていないならば、ひとまず心配事はなくなったはずです。
 一方で、何かがとげのように、心にひっかかったままでした。それを、アイメテ様は見透かしたようです。
「あら、お姉様からは何も聞かれなかったの?」
「あっ――」
 同時に、幹の側面を指先でつねります。ルディは体を折り曲げました。つねられた部分が熱を持ち、脈打ちます。逃れるように、ペニスは前後に跳ねましたが、逆に強く押さえこまれました。痛みに体が縮こまると、うしろの張り型が大きくふくれ上がったように感じました。
「お姉様は、気にならないのかしら……お前のことがお気に入りだと思っていたけれど、そうでもないのね」
 今度は幹を足の裏で、下から上に、こすります。一番敏感な先端には触れず、ルディの体の奥底から絶え間なく湧き上がる熱を、先に向かって追い立てるようでした。足の動きに合わせて、金属の輪も激しく揺れて、内側からルディを揺さぶります。
「あっ……は……っ」
 ルディは、気もそぞろでした。アイメテ様の言葉が、針のように心を刺します。けれど、体を前からうしろから責める力は強くて、簡単にルディの理性をはぎとってしまうのです。
「お姉様は、気の多い方ですもの。毎晩お前の相手をしてくださることなんて、ないのでしょう。今夜はだれとお過ごしかしら」
 ついに、アイメテ様の足は、先端に触れました。踏みつけ、床の上で転がします。
「あぁっ」
 たまらず、ルディは声をあげました。堅くふくれ上がった先端が押しつぶされ、床と足の間で形を変えます。回転にシュミーズが巻きこまれ、薄い布地が不規則に幹の部分を締めつけました。
「あ、あっ、っ――――、あっ?」
 不意にマリーシアが、張り型を引きました。悪寒がルディの背筋を駆け上がります。それから、思い切り突き入れられます。
「――――っ!!」
 ルディの体は腰から背中、喉まで、うしろに反りました。
 アイメテ様の足に踏みつけられて、動けない下半身の一点を軸に、張り型が出し入れされるたびに、ルディの体は前後に揺れました。
 目の前が涙でにじみ、息も絶え絶えなのですが、アイメテ様は、容赦しませんでした。
「きっとお姉様は、お前のことなど、もう飽きてしまったのね。要らないのだわ」
 先端を、指で挟み、強く締めます。
「あ、あ――あぁっ!」
 体を大きく反らして、ルディは絶頂しました。脈打つ白濁が、体の奥から引きずり出されます。シュミーズにさえぎられて、ルディ自身に絡みつきます。なま温かい粘液がまとわりつく、不快な感覚。汚い物が、汚い行為でさらに汚れていく。それを止められない自分が一番汚れています。
 前が、勢いを失い萎えたあとも、うしろの穴は、張り型をきつくくわえこんでいました。その違和感に、吐き気すらもよおします。体も、心も痛みました。理性を取り戻した頭の中で、アイメテ様に言われたことをくり返します。
 お嬢様は――ルディのことが、もう要らないのでしょうか。だから何も聞かなかったのでしょうか。
 どうせ、どこに行ってもルディの処遇は変わりません。こんな風に踏みつけられるだけです。そう分かっているのに、どうしてこんなに胸が痛むのでしょう。
 アイメテ様は、いっそ優しい声で、ルディに言いました。
「ねえ、私と一緒にソゾンに来なさいな。そうすれば何度でもこれをしてあげる。お姉様よりももっと、貴方を可愛がってあげる。ここにいるよりずっといいわ。世界で一番、幸せな侍女にしてあげる」
 幸せ――――それは、物語の結末です。“呪いを解かれたお姫様は王子様のお城に行き、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし”――その先が語られることはありません。だからそれが何なのか、ルディには分かりませんでした。


   ***


 アイメテ様が来て、三日目になりました。
 奇妙な生活は変わらず続いていました。朝、くたびれ果てた体で、お嬢様の元に向かい、支度をして、訓練の行われる中庭まで送ります。
 戻って、部屋の片付けをしなければいけません。顔を洗うために水を張った錫の器を空にしたり、寝乱れたベッドを整えたり。お嬢様の午後服の準備も。しかしルディは疲れ切って、その場に立ち尽くしてしまいました。ぼんやりと、お嬢様が近衛兵たちと言葉を交わし、練習用の刃の無い剣を握るのを眺めます。
 部屋の片付けをしたら、昼が来て、やがて夜になると――ルディはまた、アイメテ様の元を訪れるのでしょう。それもまた、恐ろしいことです。しかしそれ以上に。
 三晩と、お嬢様は言いました。明日の朝になれば、ルディは決断をしなければいけません。そのときを前にして、急に実感が湧いてきました。恐ろしいときが来るという実感です。今後の身の振り方という、重要な決断を迫られていることに気付いたのです。今まで何の自由も与えられなかったというのに。逃げ出したい気持ちで、しかしそんな勇気もなくて、ただルディはこの場でぼうっとするしかないのです。
 ああ、もう行かないと――
 そう思いながらも足は動かず、ルディは意味もなく空を仰ぎました。
 視界のすみで、中庭を囲む建物の二階に、くだんの人の姿を見つけました。窓の向こうに立つ、小柄な女の子。真っ白な服を着ているので、すぐに分かります。
 アイメテ様でした。中庭を見下ろしています。きっと、お嬢様を見ているのでしょう。もっと近くで見ればいいのに――と考えてすぐに、それは無理なことだと思い当たりました。
 中庭には、女の人が立ち入ることはほとんどありません。お嬢様の侍女であるルディ達でさえ――ルディは男ですが――回廊まで出るくらいで、土の上にまで降りるのは珍しいことです。
 剣を振るう場に女の人を入れるのは良くないことだと考えられているのです。だれが言うというわけでもなく、だれからともなく、ほとんど、毛嫌いされていると言っても良いでしょう。下品なことだと考えられていました。女の体は卑しく、男を誘惑するものだから、精神の高みを目指して険の練習をするこの場にはふさわしくないそうです。男ばかりがそう考えるのではなく、当の女もここに近よりたいとは思わないようでした。
 もちろん、お嬢様は別です。
 お嬢様は産まれてからすぐ、立てるようになるとズボンを履いて、剣の訓練をしていたと聞きました。髪ものばさず、馬にまたがり、戦場へ駈けていくのです。お父様の跡を継ぎ、ベルスートの城主となるために。
 アイメテ様は変わらず、お嬢様を見つめています。
 アイメテ様とお嬢様は、昔からとても仲が良かったと聞きました。アイメテ様が産まれたときには、きっとお嬢様はもう、剣を振るい始めていたでしょう。それからずっと、今まで、立ち入ることの許されない修練所の外から、アイメテ様はこうして、お嬢様のことを見ていたのでしょうか。
 並べば、拳一つの間さえ惜しむように、手を取り合い、お互いへの好意をささやきあう二人でした。けれどより添うほど近くに見えて、二人の間にはこの中庭と二階のような隔たりがあるように、ルディは感じました。


 午後、お嬢様とアイメテ様は、遠乗りへと出かけました。お嬢様の愛馬に乗って、そう遠くへは行かないからと、お供も連れずに。馬はうしろ足の方がよく跳ねますから、アイメテ様はお嬢様の前に座り、嬉しそうにその胸に体を預けました。小柄だからきっと、馬も苦ではないでしょう。
 正直、それはルディにとって心から落ち着ける時間でした。お嬢様やアイメテ様が近くにいるときは、いつどんなことを言われるかと、常に緊張をいられていますから。
 軽やかに駈けていくうしろ姿を見送りながら、隣に立つマリーシアがぽつりとつぶやきました。
「ああ、あんなにはしゃいで。たまには、羽目はめを外すのもようござんすね」
 この場には、残されたルディと彼女しかいません。独り言でないとすれば、ルディに言ったのでしょう。ルディが彼女を見たので、彼女もルディを見ました。
 あるいは、本当に独り言だったのかもしれません。マリーシアはまた前を向いてしまいました。聞き流すべきだったのかと、ルディは恥ずかしく思いました。が、少しの間をおいてとうとう彼女は話し始めました。
「うちのお嬢様は、こちらではのびのびと自由にふるまわれますが、ソゾンでは大変窮屈きゅうくつな暮らしをしておいでです。あちらのお父様やお母様はアイメテ様をそれはそれは、大切にしておいでで。……大切というのも、行き過ぎれば酷になりましょうね」
 静かに、あまり感情をまじえずに話す彼女でしたが、このときはさらに声をひそめました。遠く、二人の影が消えていった方を見やります。
「あの方の召し物は真っ白なものばかりでしょう。それはつまり、あの方はすそ一つ汚すことのないよう、ふるまわねばならないということです」
 アイメテ様の服が、頭から足元まで真っ白なものばかりなのは、ルディも不思議に思っていました。あれでは少し汚れただけでも目立つだろうにと、余計なことまで気がかりでしたが、案外、的外れではなかったようです。
 外を走れば、泥が跳ねるでしょう。書棚を探れば、ほこりがつくこともあるでしょう。それを避けろと言うことは、部屋から出ず、何もするなと言うことと、同じに思えました。
「年頃の娘にとって、好きな色の服を着られないというだけでもお気の毒なことですね。おまけに、そうでなくとも女にとっては、年中真っ白な服を着るというのは、不便が多いものです」
 そこでマリーシアはちらりと、ルディを上から下まで眺めました。
「男の身では想像もつかないことかもしれませんが」
 ああ確かにそうだろうと、納得します。彼女の言葉に反して、ルディには心当たりがありました。ルディは侍女です。お嬢様の体調のことならよく知っています。それに昔は、ルディはお母様と二人きりで暮らしていました。月がめぐるたびに、お母様が困っていたのを、ぼんやりと覚えています。
 そのときに、服が汚れてしまうのは、仕方のないことだと思います。ならばせめて、もっと色の濃い、汚れの目立たない色を着たいと思うのが自然でしょう。それが許されないのは、何か、やるせないことのように感じます。ただ白い服を着せられているというだけではなくて。
 きっと人というのは汚い部分ときれいな部分でできていて、たいていの人間はきれいな部分ばかりを見せたいと思うものです。だからといって、汚い部分もやはりその人の一部ですから、隠すだけならまだしも、まるでそれが元からなかったかのようにふるまうのは難しいことです。ましてや、それを他の人から言われるのは、きっと、とても悲しいことでしょう。
「最初はどうかと思ったのですよ。このとおり、ご両親はお嬢様を箱入りにお育てになりたいのに、お許しもなく、新しい侍女を連れ帰るなど」
 マリーシアは、もう一度ルディに顔を向けます。眠たげなまぶたの向こうからルディの目を見つめます。
「でも、貴方が来ることで、一時いっときでもあの方のお気持ちが晴れるなら……それも、ようござんしょうね」
 そう語り終えると、彼女はその場をあとにしました。


 ルディの心は、揺れていました。
 川に浮く木の葉のように、流れに翻弄ほんろうされ、もありません。
 お嬢様か、アイメテ様か。ベルスートか、ソゾンか。
 明日には選ばなければいけません。
 どちらも、ただつらく扱われるばかりです。しかし、気が沈むのはそのためだけではありません。決断という行為そのものが、ルディの心に重くのしかかっています。
 ルディの人生は、常に、自分ではどうしようもない周りの力に押しつぶされるものでした。生まれたときからずっと閉じこめられてきました。自由というものが、外から与えられるものだとして、それを知りません。
 来いと言われれば、そうします。
 残れと言われれば、そうします。
 無理矢理、引きずられたとしても、足枷あしかせをつけられたとしても、抵抗はしないでしょう。
 けれど選べと言われると、二つに別れた道を前にして、途方にくれるのでした。一歩、自分の足で踏み出すことに、多大な勇気を必要としました。いまだかつて、踏み出したことのない一歩ですから。
 どうして今になって、わざわざ選択肢など与えるのでしょう。
 この苦悩を、目の前の人は知っているのかしらと、ルディはその背中を見つめました。
 お嬢様の私室です。窓の外では、冬の太陽が早くも暮れかかっていました。お嬢様は遠乗りから帰って、汗に濡れた服を着替えたばかりです。さっぱりとした様子で、暗鬱あんうつと曇るルディの心中とは対照的でした。ルディのことなど気にかける素振りはありません。
 アイメテ様の言葉が、脳裏によみがえります。
 お嬢様は、もうルディがいらないのでしょうか。飽きてしまったのでしょうか。
 それなら、アイメテ様の元に行った方がいいのかもしれません。幸せにしてくれると、アイメテ様は言いました。それがどんなものかはルディには分かりませんが、ここにいるよりはましかもしれません。
 胸元で握った手は、ふるえていました。それは一歩を踏み出そうとする重責に耐えかねてのことでしょうか。それとも――
「ルディ」
 はっと、顔を上げます。その響きに、奇妙な感覚に襲われました。何か、とても聞き慣れていない言葉のような、懐かしいような。
 お嬢様と目が合いました。
「今日はレントウに何を教わった?」
 何気ない調子で、お嬢様は聞きました。ああ、これも、なんだかよく知ったような、初めて聞いたような、ちぐはぐな感じのするやりとりです。
 そうです、いつも、お嬢様は一日の終わりに、その日何を学んだか、ルディに話させました。ルディは話すのが上手ではありませんし、教わったことのすべてを理解しているとも限りませんでした。記憶をたどりながら言葉を選ぶのは、ちょうど、話す練習でもありましたし、勉強の復習でもありました。
 忘れていました。たった二晩のあいだだというのに。
 お嬢様たちが遠乗りに出ている間に、ルディは図書館を訪れました。お嬢様とアイメテ様、どちらか選ぶように言われていると、ルディはまだだれにも相談していませんでした。だから図書館の主で、新人の教師役であるレントウですら、このことは知りません。ただ良い機会だからと、地図を見せてくれただけです。
「今日は、地図を……ソゾンの場所を、教えてもらいました……」
「そうか」
 と、お嬢様は微笑みました。
 違和感が胸をざわつかせます。もたつく舌で、ルディは話し続けました。
「ソゾンは、ここから遠いんですね……ずっと北に行った所に、あるって」
 そんなこと、きっとお嬢様の方がよく知っています。ソゾンについてだけではなく、ほとんど、ルディが知ったすべてのことについてそうでしょう。けれどお嬢様はこのとき、けっしてルディの言うことをさえぎらないのです。ルディが話すのを、ただ待ちます。
 本当に、色々なことを教わったと思うのです。それまで閉じていた目が開いたようです。暗闇の世界に光が射したような。文字の読み書きや、計算の仕方、地図、歴史――ベルスートに来るまで、ルディはなんにも知りませんでした。あるいは、お母様から教わったことをすっかり忘れていました。
 そうです、お母様のことさえ――
 憎まれ、虐げられるしかなかった記憶の中で、優しく微笑みかけてくれたお母様の思い出は、まさに光のようでした。それを思い出せたのは、ここに来たからでした。
 朝、起きて、仕事をして、食事をとり、勉強をして――いつの間にか当たり前のように思っていた日常です。
 このやりとりも、明日の朝、ルディがアイメテ様を選べば、なくなるのです。
「お嬢様……」
 不意に、問いかけが口を突いて出ました。
「どうした」
「僕は、ソゾンに……行くべきなのですか…………」
 語尾は、消え入りました。
 お嬢様はじっとルディを見ます。その口が開くのを、ルディは待っていました。恐れてもいました。胸はがちゃがちゃと、いびつに音をたてます。
 何がそこまで、ルディの心を乱すのでしょう。お嬢様の口から飛び出す言葉に怯えるのは、いつものことです。喉の奥から、嗚咽が漏れるような感覚がありました。泣いて、とりすがったときのような。
 気の遠くなるような、間がありました。実際には一瞬のことだったのかもしれません。冬の太陽が沈むのは早くて、もう、部屋の中は薄闇にひたっていました。
 お嬢様は、ゆっくりと口を開けました。けれどよどみもなく、迷いもなく。
「ルディ」
 口はそれだけつむぐと、あとはただ、微笑みました。
 それきりでした。
 どれほど待っても次の言葉はかけられず、お嬢様は立ち尽くすルディの隣をすり抜けて、部屋を出ました。
 アイメテ様のための、ささやかな晩餐会ばんさんかいに向かうのでしょう。その隣を、ついて行かなければいけません。お嬢様のためにドアを開けなければ。
 けれどルディはその場に立ったままでした。ルディは待っていました。待ち望んでいました。
 お嬢様の言葉を。
 アイメテ様の言ったことに、どうしてあんなに胸が痛んだのか、今分かりました。
 ――――ここに残れと。行くなと。そう言って欲しかったのです。
 行ってしまえと言われるのを、恐れていました。それと同じくらい、ここにいろと言われるのを望んでいました。
 あの微笑みはどちらの意味だったのでしょう。ルディのことを少しでも惜しいと思ってくれたのでしょうか。それとも呆れ果てたのでしょうか。
 ついて来いとも、言われませんでした。
 ただ一言かけてくれさえすれば、ルディは迷うことなく――悩むことも、考えることすらなく、ベルスートにいることを選んだでしょう。
 でもお嬢様は何も言いませんでした。


「アイメテ様のお城に……図書館は、ありますか?」
 その夜、客間を訪れて、ルディは聞きました。ルディから口を開いたのは初めてです。
 アイメテ様は一瞬虚を突かれたようで、いぶかしげに首をかしげました。
「私もいくつか持ってはいるけれど……本なら、お父様と兄様の書斎にたくさんあるわ」
「じゃあ、そこで、勉強をしてもいいですか?」
「――だめよ」
 急に、アイメテ様の声色が変わりました。わずかに、語尾が上がります。最初にルディをなじりあげたときの声とも、笑ってルディをいたぶったときの声とも違う声です。取りつくろう隙を失った、真にせまるような声でした。
 初めて、ルディはアイメテ様の心にふれた気がしました。
「そんなこと許さないわ。貴方は私の侍女になるのよ? 女が勉強だなんて、必要ないもの」
「でも、お嬢様は……」
「口答えしないで!」
 アイメテ様の瞳が、燃え上がります。
「お姉様は特別なの!」
 怒りと、憂いを帯びた炎です。
 その熱にさらされながら、不思議とルディの心は静かでした。ルディに、というよりは、他の何かに憤っているように見えました。“だれか”という話ではなくて、もっと大きな。たとえば、言外に女が中庭に降りるのをはばむような、そういう、大きな力のようなものです。
 その夜は、前の二晩よりもっとひどく、責められました。
 絶頂は一度だけではなく、休みなく、二度、三度と続きました。
 踏みつぶし、つねられ、ねじ切られるかと思うほどです。終いにはルディは、ほとんど正気を失っていました。
 泡を吹く口で、アイメテ様に許しを乞い続けます。けれどかえって、アイメテ様への思いは強くなるようでした。
 可哀想なアイメテ様。
 アイメテ様は、お嬢様のことが好きなのです。それもただ慕っているというだけではありません。憧れているのです。見えない糸にきつく縛られた自分と、何にも縛られることのないお嬢様を比べて。お嬢様のように自由にふるまいたいと、思っているのでしょう。
 アイメテ様の元へ、ソゾンへ行っても良いと思いました。ルディが行って、少しは気が晴れるなら。役に立つことがあるのなら。
 アイメテ様が、ルディを望むのならば。


   ***


 そして、四日目の朝が来ました。
 その訪れはけっして、おごそかでも賑やかでもありませんでした。雲間をぬって光の梯子はしごが降りるわけでもなく、管弦楽が鳴り響くわけでもなく。ただありふれた朝でした。一人の侍女の進退など、世界にとっては些細ささいな出来事です。
 もしかしたら、この場にいる、ルディ以外のだれにとっても。客間で、ルディの前に、お嬢様とアイメテ様と、それからすみにひっそりと、マリーシアが立ちます。最初に口を開いたのは、お嬢様でした。
「さあ、約束の三晩が過ぎた。ルディ、お前の決断を聞こう」
 皆の視線が集まり、ルディはうつむきます。このまま消え入ってしまえればどれほど楽でしょう。けれど意を決すると、顔を上げてルディは進み出ました。
「アイメテ様」
 その前に立ち、名を呼びます。アイメテ様はおだやかに微笑みました。とても美しい笑顔でした。ぱっちりとした瞳、小さな唇、ばら色の頬。まるでお人形のようです。作り物みたいな。
 ルディは頭を下げました。
「ごめんなさい……僕は、アイメテ様の所へは、行きません」
 アイメテ様はわずかに首をかしけ、じっとルディを見つめました。さっきまでほころんでいた口元は、怪訝けげんそうに結ばれ、それから開かれます。
「どうして? 昨日言ったことを気にしているの? ……貴方が望むなら、勉強もさせてあげるわ」
「……いいえ」
 確かに、ルディにとって本を読んで勉強することは、大切なことでした。記憶の中のお母様とルディを結びつける唯一の手段です。断片的に覚えているお母様の言葉が、本の一節に、不意によみがえるのです。垣間見る広い世界の片隅に、お母様の面影を見つけるのです。
 けれどそれは理由ではありませんでした。
「だって……アイメテ様が本当に欲しいのは、僕ではないのでしょう?」
「そんなことはないわ」
 アイメテ様は悲しげに、眉をよせました。大きな瞳がうるみ、今にも涙がこぼれ落ちそうです。ルディは言葉につまりました。ひょっとしたら、この判断は間違いだったのではないか――それでも、やはり。
 揺らぐ決意を押さえて、ルディは、もてる限りの勇気を振り絞りました。
「アイメテ様……僕は……僕の名は、ルディといいます」
 はっとアイメテ様は目を開きました。
 お互い、自己紹介をするひまもない出会いではありました。そして一度も、アイメテ様はルディのことを呼びませんでした。名前を聞きもしませんでした。身分の高い人々にとっては、使用人の名前など取るに足らないことかもしれません。それでも、ルディにはちゃんと名前があるのです。
 ベルスートに来るまで、ルディはそのことさえ忘れていました。『おい』とか『お前』とか呼ばれることに慣れていました。今は、それがどれほど心ない扱いだったか分かります。ここに来てから何度、ルディは自分の名前を挨拶させられたでしょうか。そして何度、名前を呼ばれたでしょうか。
 ルディの名前はアイメテ様には必要のないものなのです。それなら、ルディにだって分かります。
 アイメテ様は本当は、ルディのことなんか、欲しくはないのです。
 ただお嬢様に憧れて、お嬢様と同じ物が欲しくて、お嬢様の側にいるルディがうとましかっただけです。それではきっとルディが行ったところで、むなしいだけでしょう。
 アイメテ様は、悔しがる素振りは見せませんでした。それがはしたないことだと思っているのでしょうか。ただ、そっと目を伏せます。深い悲しみをたたえたような、湧き上がる怒りを抑えているような、そんな顔です。
 罪悪感が胸を締めつけます。それでも怖いとは感じませんでした。アイメテ様は、ルディのことなど初めから見ていないのですから。
「決まりだな」
 沈黙を打ち破ったのは、また、お嬢様でした。
「お前の負けだ、アイメテ」
 お嬢様に言われて初めて、アイメテ様の瞳が揺れました。すねたように、お嬢様から視線をそらします。
「それで、私はルディを代償としてこの賭に乗ったが、お前はいったいどんな犠牲を私に払うつもりだ?」
「……お姉様のお好きに。代わりにマリーシアが欲しいとおっしゃるなら、差し上げますわ」
「まさか」
 お嬢様は口の端を上げました。
「お前の有能な侍女も、私にとっては何の値もない。私が欲しいのは、お前の持つ中で最も価値あるものだ」
「それは――」
 いぶかしがるアイメテ様に向かって、お嬢様の腕がしなりました。
「あっ」
 アイメテ様の白いドレスの肩口が、音をたてて裂けます。いつの間にか、お嬢様は鞭を手にしていました。馬を駆るための、先に平たい革の付いた、短い鞭です。昨日、それを手に遠乗りに出かけたばかりです。
 二度、三度と打たれて、アイメテ様はよろめきました。
 一度だって、そんな無体むたいったことはないでしょう。そのままアイメテ様は座りこみました。弱々しく床に手をつき、それでいて毅然きぜんとしたまなざしをお嬢様に向けます。その視線がさも心地良いかのように、お嬢様は笑いました。
「ちょうど良い機会だ。叔父上はお前を猫の仔ように可愛がってばかりだが、そろそろ学ぶべきことがある。迂闊うかつなものだな、代償もわきまえずに我々との賭に挑むとは」
 マリーシアが一歩、前に出ました。丁寧に頭を下げます。
「シェリー様、どうかご容赦をいただきとうぞんじます。大切な御身でございます」
 ひらひらと、お嬢様は手を振りました。大事ではない、と言いたげです。聞く気はないという合図でもあります。
「そこで見ていろ、マリーシア。私としても叔父上や叔母上に義理はある。加減は心得ているよ」
「お姉様……」
 厳しい言葉に、アイメテ様はうつむきました。頬は赤く、濡れています。破けたドレスの間から、わずかに白い肩が見えました。その肌が腫れるのは、小さく華奢きゃしゃな体が鞭打たれるのは、想像するだけでもむごいことです。
 そこに、幼い頃の自分がいました。男の人――(ああ、あれは多分、お母様のお兄様だ)――に殴られそうになっているのを、お母様が――
 とっさに体が動きました。
「待って……」
 二人の間に割って入ります。ルディは膝をつき、アイメテ様を背中にかばいました。
「お嬢様、お願いです。アイメテ様を許してあげてください」
『兄さん、お願い。許してあげて――』
 ルディをかばって懇願するお母様の背中を、思い出していました。ああ、あんなにも守られていたのです。
 アイメテ様はただお嬢様のことが好きで、わがままを言っただけなのです。なのに、好きな人からこんな仕打ちを受けるなんて。
「可哀想です……」
 罰なら、代わりに自分が受ければいいのです。鞭の痛みも、とっくに知っています。
 お嬢様は、一瞬目を見張りました。それから、首を反らし、高らかに笑い出します。
 叱られる覚悟はしていました。しかしこれには、何が起こったか分からず、ルディは呆気にとられました。答えを求めるようにあたりを見回し、そしてうしろを振り返ります。
 アイメテ様の顔は、青ざめていました。目は見開かれ、唇が、わなわなとふるえます。
「使用人風情ふぜいに、同情されるいわれはないわ……!」
 ようやく、これだけ言えたようでした。唇をきつくかみしめ、ルディから、そのうしろのお嬢様から、顔ごとそらします。
 お嬢様は笑うのをやめました。声音を落とし、アイメテ様にささやきかけます。
「さあアイメテ、今度こそ本当に、お前の負けだ。尻尾を巻いてお帰り、私の宝物」
 そう言い置いて、身をひるがえしました。ドアを開け放ちます。ルディは慌てて、そのあとを追いました。一度振り返ると、座りこんだままのアイメテ様に、マリーシアが近づくのが見えました。
 客間のドアを閉めて、数歩先の背中に駆けよります。
「ルディ」
 背中越しに、その声が呼びました。胸がざわつく響きです。
 結局、お嬢様がルディのことを引き止めてくれたわけではありません。ただ、名前を呼んでくれました。それだけです。たったそれだけで、胸はこんなに騒がしくなるのです。
 ルディは、歩くお嬢様の隣に並びました。
「良くやった。私の想像以上だ」
「いえ……」
 アイメテ様のことが気にかかります。ルディなりに精一杯の行動をしたつもりでしたが、アイメテ様の心を深く傷つけてしまったようでした。傷ついた心のまま、ソゾンへ帰るのでしょうか。
「アイメテ様は……」
「あの子のことは気にするな。乙女の心はうつろいやすいものだ。今朝のことなど、明日には忘れているよ」
 本当に、そうなら良いのですが。アイメテ様の真っ青な顔が、忘れられそうにありません。
 反面、お嬢様は上機嫌のようでした。
「褒美は何が良い?」
 答えにつまります。
「そんな……僕は、何もしていません」
「ああ、お前は謙虚な人間だったな」
 くすりとお嬢様は笑いました。足を止めます。
「ではお前の体が望むままにとらせるとしよう」
 その手が、ルディの胸に触れました。心臓を鷲掴みにされるような錯覚に、息が止まります。よろけて、ルディは壁に背中をつきました。
 お嬢様の手はルディの胸をまさぐり、服の下の鎖を探り当てます。ルディの首輪から下半身につながれた、細い鎖です。それをたどって、ゆっくりとルディの体を下ります。
 その手が、下腹部に至って、ルディは大きく息を吐きました。鎖がこすれて小さな音をたてます。ぴんと、一点が張りつめました。
「ああ、やはりこれか」
 と、お嬢様は笑って、ルディの耳元に唇をよせます。
「今、ここで?」
 ほとんどふれそうなくらい近くから、声がしました。ルディの耳を通って、深く、頭の奥をくすぐります。顔から、耳の先まで、熱くなります。
 こんな、明るい日の中で? こんな人目につく場所で?
 その情景を考えただけで、そこはふくらみ、布地を高く持ち上げました。
 お嬢様の熱を感じながら、ルディは必死に首を振りました。
「だめです……今は……」
 その体を押しのけるわけにはいきません。壁に当てた拳を握りしめます。
 一日はまだ始まったばかりです。これかはやることはたくさんあります。お嬢様にもルディにも。
「ふうん」
 お嬢様は耳元によせていた顔を離し、ルディの顔を見つめました。たぶん、泣きそうな、情けない顔をしています。
「いい子だ、ルディ」
 と、ルディの胸をなでます。もう一度「いい子だ」とくり返すと、お嬢様はルディを解放しました。そして上機嫌のまま、廊下の先へと歩き出します。体の熱が収まるのを待つのももどかしく、ルディはそれに続きました。


 その夜は、半ば意識を失うまで、責められました。いつものように、お嬢様の部屋で。何度も、何度も、ルディが反応する限り、お嬢様は痛みを与え続けました。そしてそのたびに、ルディの体は応えるのでした。
 踏みつけられて、鞭打たれました。アイメテ様を打つはずだった鞭で。革靴の底がペニスにじかに当たる感触に、体の奥底からふるえます。最初は膝をついた姿勢で、やがて耐えられなくなって横になって倒れたところを、靴先で押しのけられ、あお向けにされました。ルディのペニスの上から下まで、お嬢様の靴の下に押さえこまれ、腹の上で転がされました。睾丸の部分までです。皮の中がごりごりと削られるようでした。
 最後はほとんど声がかすれ、悲鳴すらあげられなくなりました。
 どこであっても、ルディが受ける扱いは同じです。これほど痛めつけられたことはないので、明日の朝はもう立てないかもしれません。
 それなのに、どうしてか、心が痛むことはありませんでした。罰ではなく、褒美だと言われたせいでしょうか。不思議と、明日の仕事に支障が出ないことばかりを心配していました。
 これこそが望んでいたものだと、頭のどこかで思いました。
 空しいはずなのに何故か満たされました。
 ああ、ついに自分はどうかしたのだと、もうろうとした頭でルディは思います。それは喜ばしいことのようにも感じられます。何も分からなくなってしまえば、きっと苦しいことはなくなるでしょう。
 けれど。
「ルディ」
 無慈悲に、その声はルディを引き戻すのです。耳元にささやかれるように、その声はよく通り、ルディの心に絡みつきます。
「お前は正しい決断をしたよ。私の名誉を守ったことを言っているのではない。お前自身のためだ」
 顔を上げる体力もなく、床に転がったままルディはそれを聞きました。
「あの子はきっと、お前を手に入れたら、すぐ殺してしまっただろうから」
 まさか、とルディは思いました。確かに、アイメテ様にとってはルディは必要の無い存在かもしれませんが、そこまでは――
「信じる信じないはお前の自由だが、少なくとも、私はお前よりよくあの子を知っている。あの子は昔から、自分よりか弱い生き物が好きだった。かごいっぱいに小鳥を詰めて飢えさせ、互いをついばませたこともあった。可愛らしい、子供の遊びだ」
 可憐で、小さな花のようなアイメテ様を思い描きます。口を開けて笑うと、わずかに牙が覗くのです。血筋だと、ルディは思い知っていました。
 朝の自分の決断に、背筋が凍りつきます。お嬢様は続けました。
「そうでなくともあの子の潔癖な母親が、お前を側に置くことを許しはしなかっただろうな。あの子の白い服を見ただろう? 隙あらば、とはやるあの子に、返り血の一つも浴びせまいと叔母上はお考えだ。娘の純潔を守るためなら、進んでお前の頭をねじ切っただろう」
 ルディは息を飲みます。砂を噛んだときのように、いやな味が口の中に広がりました。アイメテ様のことを思い、まだ会ったことのないアイメテ様のお母様のことを思い、それから、眼前に立つ人のことを思います。
 アイメテ様の、小さな手のひらに隠された狂気、その白いドレスのうしろに見え隠れする意図、けれど何より恐ろしいのは。
 ルディは、ふるえる体を抱き、すがるようにお嬢様を見上げました。
 この人は最初からそうと分かって、ルディを試したのです。いったい何を、信じればいいのでしょう。
「お前は、私を選ぶと思っていたよ」
 お嬢様は、ルディに笑いかけました。
 無邪気な風でいて、その下の悪意を隠そうともしない、結果としてこちらをひどく混乱させるいつもの物言いで、ルディを追い詰めます。その言葉を、信じていいのかどうか――信じられない――という気持ちよりも、信じたいという気持ちの方が、強いのは――すがるような気持ちになるのは――
「お前は正しい選択をした。お前は自分の意志で私の元にとどまると決めた。だからこれは、祝いだ。ルディ、お前は今日初めて、真の意味で私の侍女になったのだから」
 それが優しい声だったからです。
 涙はもう出ません。
 胸だけがわずかに、うずきました。